笑って。僕の大好きなひと。
子どものころはすべてが幸せだった。
と思うのは、さすがに美化しすぎだろうか。
だけど今、目を閉じてよみがえるのは笑顔の記憶ばかりなのだ。
お父さんがいて、お母さんがいて、犬のノアがいた。
わたしは幼くて、触れられる世界は小さくて、だけど幸せは手を伸ばさなくてもそこにあった。
じゅうぶんだったのに。あのままで、満たされていたのに。
戻りたい……もう一度、あの頃へ。
幸せだった思い出の場所へ――。
***
いつの間にか、眠っていたらしい。
運転手さんに呼ばれて目を開けると、バスは終点の停留所に着いていた。乗客はすでにわたしだけだ。
「ありがとうございました」
お金を運賃ボックスに入れて降車する。バスが走り去ると、あたりは風に揺れる木々の音しかしなくなった。
東京とは明らかに違う、内臓まで凍りそうな寒さ。
目の前に広がる田んぼは、夏なら青々とした風景になるんだろう。けれど冬の今は色をなくし、古びた畳を敷き詰めたように見える。
その田んぼと反対側、わたしが立っている細い道をはさんで、くすんだ朱色の鳥居がぽつんと佇んでいる。
昔、家族旅行したときにお参りした神社だ。
「……それにしても」
と、わたしは思わずひとりごちた。
こんな田舎に旅行するなんて、うちの親もけっこう物好きだったんだ。