さよなら、もう一人のわたし
 そう言ったのは彼女の兄だ。

 彼は腕組みをして、無表情のままだ。表情は作っておらず、声だけだが、慣れているのはすぐにわかった。

 千春は自分の兄を睨むと、重い足取りで近寄ってきた。

「どうして? たった二点じゃない。それでもクラスでトップだったのに、あの人は満点意外に認めないのよ」

「諦めろよ」

 千春はわたしと兄を一瞥すると、首を背けた。

 目の前の少女は千春ではなく、父親に不満をぶつける少女であり、兄は彼女の父親へと変貌していた。

 動く二人とは対照的に、まるで時間が止まった気がした。

 ずっと前に感じたような、もどかしくて自分もその物語の一部と化したような不思議な感覚。 

 いつだっただろう。そう考えて、その答えがすぐにわかる。
 そうあのわたしが憧れていたあの二人の女優の演技を見たときだ。

 彼女が視野に入ってくるだけで、彼女の周りにある全てのものが背景と化していた。全てが作り物のように、存在感をゼロにしてしまう。

「どう?」

 その言葉でわたしは我に返る。千春は千春の表情を浮かべ、こちらを伺っていた。

「こんな感じ。何変な顔をしているのよ」

「だって、すごいなって思って」

 わたしは素直な本心を告げた。
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