さよなら、もう一人のわたし
 彼を無理に連れてきた形になったとしても、楽しみだと思ってしまう。

「千春に何か言われました?」

 彼は言葉につまり、わたしから目をそらした。
 やけに歯切れが悪かった。

「千春もわたしに気遣ってくれたんだと思います。本当にごめんなさい」
「そうじゃなくて、人の気持ちが分からないのかって怒られただけだから」

 彼はそこで言葉を切る。

「人の気持ちって」
「君が俺を誘ってくれたのに、そういうときに他の人の名前を出すのは失礼だろってさ」

 千春らしい言葉かもしれない。

「でも迷惑だったらかまいませんよ。興味ないなら別の場所でもいいし」
「普段出歩かないから遊ぶ場所も知らないし、よく分からない」
「そうなんですね」

 意外な気はした。彼だったらいくらでも女の子から誘いはありそうなのに。そう思って自分の胸が痛んだ。わたしをからかっていた彼の印象と今日の彼の印象は別人のようで、一人の身近な青年のように感じられた。

「それなら、チケットを無駄にしてしまったら悪いからここに入りましょう」

 彼はわたしの提案を受け入れてくれた。
 千春はこのチケットをどうしたのだろうか。
 その疑問はわいてくるが、わたしは尚志さんと一緒に奥に入ることにした。
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