ラブ パラドックス
***


病院を後にした私と夏目くんは、家路へ向かう相乗りしたタクシーの中、どちらも一言も言葉を発しなかった。


医師1名立会いの下、私たち3名の証人により行われた遺言作成は、時間にして10分もかからなかった。

文章に起こすのは前田先生が受け持ってくださるので、私と夏目くんは、今日のところはこれにてお役御免だ。

遺言者である前田先生のご友人は、財産については法定相続人で法で定められた通りに分けなさいという、とても簡単なものだった。


それよりも、重きを置かれたのは付言事項——

そう。遺された人たちへの、素直な気持ちだ。


ゆっくり、ゆっくりと、一人一人に向けて、生前の感謝を述べられ、時に思い出話や耳の痛くなるような小言。

それから、くすっと笑えるエピソードも含んだ、愛情がたくさんこめられたものだった。

感情移入してしまい泣きそうになりながら、真剣に記録した。


わたしがタクシーの中でずっと無言だったのは、亡き父と、先日救急搬送された母について、思いを巡らせていたからだ。


自分には精神的な負荷がかかりすぎた仕事だと、今更ながら感じる。
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