雨のち、君と。
「で、あなただれ。」
濡れたままだといけないから、彼女にタオルを渡すとガシガシと男らしく髪を乾かし始めた。
ワンルームの狭い部屋だけど男の一人暮らしなら十分だ。マンションだから一応オートロック完備だし、風呂とトイレも別。キッチンもある。十分すぎるくらいだ。
ソファーに腰掛け、タオルからすぽっと顔を覗かせると彼女は俺にそう問うた。
「とりあえず自己紹介からかな。俺は羽柴 蒼弥(はしば そうや)。29歳営業部所属です。」
なんだか納得したのか、差し出したココアを受け取りカップに口をつけた。
コーヒーを淹れようか悩んだけども、そもそもうちにコーヒーはない。何を隠そう俺は甘党なのだ。
「君は?名前は?なんであの路地にいたの?歳はいくつ?」
「質問多い。」
だって、気になる事が多すぎる。俺の言葉を遮りぷいっと窓を見つめた。
「…覚えてない。」
「覚えてない、の?」
…なにを?名前?歳?なぜ路地にいたのか?
いわゆる、記憶喪失ってやつ…?
「覚えてないの、なにも。」
そう言った彼女は儚くて悲しげで。
これ以上なにも聞いてはいけないと、そう思わざるを得なかった。
「名前は、檜佐木 生。だと思う。多分19歳。」
「名前と歳は覚えてるんだ。」
「これ、持ってた。」
見せてくれたのは握りしめてくしゃくしゃになった保険証。生年月日と名前が記されてある。
雨で濡れてところどころ破れている。名前と生年月日がかろうじて読める状態だ。
「生って書いて…、せい、かな?」
「わかんない…。」
「あとは読み方としては、うい、とか?」
「…多分、そっち。なんか聞いた事ある気がする。」
また、少し悲しい顔をした。
瞳の奥が濁る。
蒼色の右目の奥が、揺らぐ。
「お願いがあるの、蒼弥。」
「なに?」
「私をここに置いて。記憶が戻るまででいいから。」
拾った以上、追い出すなんてことはできない。ましてや、未成年で、さらに記憶喪失。
ここで突き放すこと出来るやつなんていんのか…?
「わかった、うちにいな。」
こうして始まったのは、なんとも奇妙な共同生活。