白衣とメガネと懐中時計
彼はあたしの白衣のポケットを勝手にあさり、懐中時計を取り出した。
「まだ使ってんだな、俺があげたやつ」
「……あんたから、貰ったやつだったっけ?」
これを貰った日のことは鮮明に覚えてるくせに。
あたしは素直じゃないから、こんなひねくれた返事しかできない。
これを貰ったのは、10年も前の話だ。
大学生だったあたしは、お気に入りの腕時計を左手首に嵌めて、実験をしていた。
硫酸を加えた液を加熱中に、あたしは試験管を割ってしまったのだ。
溢れた溶液がかかったのは、あたしの実験ノートと左手首に嵌っていた腕時計。
時計のおかげと硫酸がかなり水で希釈したものだったことが幸いして、手首の火傷はさほどなかったのだった。
しかし、防水でも何でもなかった時計は動かなくなってしまった。
『お気に入りの時計だったのに……』
時計を見つめて落胆したあたし。
その翌日のことだった。
翔平は廊下で何かをあたしに押し付けた。
小さな袋。でも、中身は何かはわからない。
『時計の心配する前に、自分の身体の心配をしろよな』
ぶっきらぼうにそう言って、走り去った翔平。
その場で袋を開けると、それは懐中時計だった。
嬉しかった。ただ、嬉しかったのだ。
時計が壊れて落胆していたあたしに彼が気づいてくれたことにも、あたしの身体を彼が心配してくれたことにも。