火恋 ~ひれん~
 温泉郷からの帰りはもう寄り道はしないだろうと思っていたのに、樹齢千年を超えるご神木で有名な神社がある、と渉さんはそこにも連れて行ってくれた。

 直径が2mはありそうな杉の大木には太いしめ縄がかかり、上を見上げても真っ直ぐに伸びたその天辺がどこにあるのかも見定められない。圧倒的な存在感にただただ感嘆してしまった。

「・・・本物の屋久杉には足りないがな。今はこれで我慢しておけ」

 その言葉に思わず隣りを振り仰ぐと、渉さんの口の端に微かな笑みが浮かんでいた。
 俺が連れて行く、と言ったあの約束を必ず果たしてくれるつもりでいるのだと。胸が潰れそうに貴方がひたすら愛おしい。

 渉さん。
 貴方がこの先、闇に呑み込まれて何かを見失いそうになっても。
 お願い。わたしとの小さな約束を忘れないでいて。
 これからも、貴方を困らせ過ぎないお願いごとを沢山するの。
 きっとわたしを泣かせたくなくて、貴方は簡単には・・・死ねないの。

「我慢が利くうちに連れて行って下さいね。ちゃんと待ってますから」

 わたしはにこりと微笑んだ。
 ああ、と渉さんは返事をした後、不意に眉を寄せて訝し気にこちらを見やる。

「?」

「いや。・・・お前、少し言う様になったな」

「そうですか?」

 視線を傾げて、ちょっと考え込む。

「わたしはわたしですけど・・・。そうですね、でもちょっと欲が出て来たみたいです」

 クスリと意味深に。
 彼は視線を眇(すが)めて、わたしの本心を探っているかのよう。 

 失うくらいなら迷わずに死を選ぶほど、貴方を好きになって。
 失いたくないのなら。息をしているだけのただの人形じゃ。

「渉さんのお陰で、“生きる”理由が出来ちゃいましたから」 

 わたしはわざと上を見上げて。天空(そら)を仰ぐように目を細め、小さく笑った。



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