~悪魔執事とお嬢様~
アーノルドが首をこちらへ向けた。
どうやらもう狐は充分なようだ。
「お嬢様の醜い歌は意図的に?」
私は押し黙った。
というよりも返す言葉を探していた。
しかし、思い付く前にアーノルドが吠えて、帰りたいと言う意思を伝え始めたので、私は結局、本当に押し黙ってしまった。
「我らが英雄、アーノルドは早く帰りたいようですね。続きはまたあとで」
シリウスからハンカチを受け取り、アーノルドの口についた血を拭ってから私達は馬にまたがった。
狐の残骸はここにすんでいる人間を驚かせないよう適当に埋めた。
アーノルドが後ろ足で掘っていたのもあってすぐに終わった。
おとなしいジュリアンの鬣を撫で、来た道を戻る。
感覚的には出発してからそれほど時間は経っていなかった気がしたが、小さな森のなかでは充分薄暗かった。
閑散とした空気が立ち込め、三頭の馬の蹄鉄の音と、一匹の犬の足音以外はなにも聞こえない。
行きと違って風を切る音もあまりしなかった。
黒い木の影が怪しく蠢き、どこかゲーテの詞である「魔王」を彷彿させた。
と同時に、シューベルトの「魔王」の曲が頭のなかで流れ始める。
元がドイツ語なので、正確に発音が再生されているかと言うとそうでもないが、
お父様に教えてもらったためにほんの少しだけなら合っているはずだ。
昔はあの歌を聞いて恐怖に怯えたが、成長につれて曲を客観的に聞けるようになった。
が、今は違う。恐怖に怯えているという程でもないが、あまりいい気分はしない。
途中から曲の内容を歌詞ではなく物語と認識するようになり、不安になった。
私は冷たい風に抗いながら、スピードをまたあげた。
そうするだけで不安はすぐにとれた。
きっと悪魔が絶対に存在すると知っていなければ、怖くもなんともなかったはずだ。
存在する可能性と存在しない可能性が同時に存在(あるいは概念として存在している)しているのと、
確実に存在しているのとでは訳が違う。
私が馬のスピードをあげて森を抜けると、後ろから叫び声がした。
声の主はシリウスだ。
「お嬢様!少し休憩されてはいかがでしょう?この先に村がありますので」
「わたくしもMr.シリウスと同意見でございます」
続けてヴィル爺も、年寄りながら大きな声でそう叫んだ。
横目で二人を探す。
なるほど、二人が言うのも無理はない。
二人の乗っている馬は疲れきっていてか、とても離れている。
アーノルドも二人ほどではないが、近くにはいない。
言われた通りに私はジュリアンに速度を落とさせながら、近くにあると言う村を探した。