イケメン伯爵の契約結婚事情
「私はエミ―……」
名乗ろうとしたエミーリアの口を、トマスが抑える。
「通りすがりの者です。どうかご容赦くださいませ」
トマスは平身低頭の構えを見せたが、フリードは納得していない。脇に差していた細身の剣をトマスの頬すれすれに伸ばす。
「領主が名乗ったのに名乗れないとは、無礼にもほどがあるだろう。ふたりともそれほど育ちは悪くないだろう。動きでわかる。それでも無礼を働くには相応の理由があるんだな?」
口を動かそうとしたトマスの頬にうっすら血がにじむ。エミーリアはカッとなり、ふたりの間に割って入った。
剣を持つ彼の手を押しのけキッと睨みつける。
「やめて、理由などないわ。私はエミリー。ベルンシュタイン領のただの田舎娘よ。彼はうちの家に仕えているトマス。領土を超えて入り込んだことは悪かったわ。獲物は差し上げますし、すぐに領内へ戻ります。これでいいでしょ?」
と、手袋で覆われた大きな手が、エミーリアの顎を上へと向けた。
空の色に似た綺麗な瞳の中にエミーリアは自身の姿を見た。男の口元はクッとあざけるように笑う。
「田舎娘がにこんな度胸が? それにその乗馬服。ずいぶんキツキツのようだが生地は上物だ。一介の田舎娘の持ち物とは思えないな」
エミーリアは思わず生唾を飲み込む。
乗馬服は、十五歳の時にしつらえたものだ。その頃は、父親である伯爵が乗馬に反対していなかったため、素材にこだわった良い服を体に合わせて作ってくれていた。身長はそれほど変わっておらず、きついのは胸元だ。その辺りに男の視線を感じ、エミーリアは睨みつける。