イケメン伯爵の契約結婚事情
「……逃げましょう。あの煙を吸ってはいけない」
エグモントの忠告は、火の手がデス・カマスに近づくころに発せられた。
「毒素を含むのか?」
「可能性はあります。触るだけで、奥様の皮膚がただれるほどの猛毒です」
エグモントは、言いにくそうに、だけどはっきりそう言った。
屋敷は全体火の手に包まれている。立ち上る黒い煙は、遠く、フリードの本邸からも覗けるだろう。
もはや、叔父と叔母の救出も不可能と判断し、フリードとエミーリアは黒馬に、トマスはエグモントとムートに、そしてディルクは自分の馬に乗り、脱出した。
ようやく風が涼しく感じられるほど離れて、エミーリアは燃え盛る屋敷を振り返る。
(まるで悪夢だわ)
エミーリアは思い、フリードの手にそっと手を重ねる。傷のついた指は予想外にしっかりと彼女の手を握り返してくれて、エミーリアはほっと息をつく。
「……私たちは恵まれているのかしら」
あがくように言った、カテリーナの言葉をふいに思い出す。
「さあな。だからと言って悩みがないわけでもないし、思うように進むしかないだろう。俺達には最初からそれしかないんだから」
「フリード」
「叔父上の生まれは不幸だったと思う。だけどその先は自分で選び取ってきたものだ。違う生き方もできたと思う」
ちらりと、燃え盛る屋敷を振り仰ぐ。叔父は逃げようと思えば逃げれた。あれだけの執着を持ってわが子を思うのだったら、生き延びるほうを選ぶはずだ。けれど、最後に叔父が選んだのは叔母によりそうことだった。