イケメン伯爵の契約結婚事情
やがて、強くドアをたたく音がしたかと思うとフリードが頭を抱えて入ってくる。「くそっ」と叫び、扉にこぶしを打ち付けた。
「フリード?」
「やられた。母上は死んだ。あの毒はここにもあったらしい」
フリードは何度も扉をたたく。マルティンがおびえたように後ずさった。
「逃げるなど卑怯だ。叔父上も母上も……」
「フリード」
エミーリアは彼の手を止め、背中に手をまわして彼を抱きしめた。小刻みに震えた彼は、顔をゆがめたままエミーリアの髪に手をうずめる。
「泣いてもいいのよ。あなたのお母さまじゃないの」
背中を撫で続けながら、ちらりと振り向いて二人の従者に指示を出す。
「ディルク、トマス。マルティンをお願い」
「はい」
すぐ、ふたりは別室にマルティンを連れ出した。まだ母親の死を理解していない少女には後ほど時間をかけて説明していくことになるとは思うが、今はフリードのほうが心配だった。
「母上は弱虫だ」
エミーリアの肩に、フリードの涙が落ちていく。
「俺は逃げない。絶対に逃げるものか」
悲しみの中、そう言えるフリードを、エミーリアは心から愛しいと思う。
理想とするものを手に入れるのがどんなに困難でも、彼ならば負けずに向かっていくのだろう。
そんな人だからこそ、一緒にいたいと思えるのだ。
「マルティンを……引き取れない? 名前も女性名に変えて、私の傍で教育したいの」
「今、そう頼もうと思っていたところだ」
「事実を知ったらあの子は傷つくわ。私、傍にいたい」
「ああ」
フリードが手をつかみ、エミーリアが指を絡める。
ふたりの影はひとつになったまま、お互いの体温をなじませていく。
「……お前は領主の妻に向いてるな」
「そうかしら」
「そうだよ。俺はいい嫁を貰った」
本当にそうならば嬉しいと思う。
無鉄砲で女らしくなくて、嫁にさえ行けるのか危ぶまれていた自分をそんな風に言ってくれたのは彼だけだ。
「ならあなたも安泰ね」
調子に乗って言ってみたら「はは」と笑われる。少しでも笑顔を見せてくれたことが嬉しくて、エミーリアは彼を労わるようにもう一度抱きしめた。