イケメン伯爵の契約結婚事情
「お嬢様、そろそろ」
トマスは隣のクレムラート家の領地に入ってしまうのが気がかりだった。
クレムラート家の領地は肥沃な平地が大部分で、広大な畑を持ち、領民の職業は農業が多い。それゆえ、彼らが狩りをしようと思えば、領土境にあるこの山に限られてしまうのだ。実際、過去の領主は何度か鉢合わせしてもめたことがあるとトマスは聞いている。
狩り好きだったクレムラート前領主は三年前に亡くなり、跡目を継いだのは現在は十九歳になる子息だ。つい三ヶ月ほど前に結婚一年になる奥方を亡くされたという話だから、まさか狩りなどは行っていないと思うが。
そう思いつつ、不安を隠しきれないトマスは馬を早めた。なんとなく、獣以外の気配を感じるような気もしたのだ。
そのとき、獣の断末魔があたりに響き渡った。
「やったわ」
エミーリアは歓声を上げ、馬のスピードを上げた。
鳥が飛び立つ音や葉擦れの音に紛れ、トマスの耳は人の話し声を拾った。
「お嬢様、お待ちください……!」
しかし時はすでに遅し。
遅れてエミーリアを追ったトマスが見たものは、ふたりの男に囲まれ、気丈に睨みつけている主人の姿だった。