奏 〜Fantasia for piano〜

それを見て気づく。

奏は怒らないのではなく、怒れないのだと。


コンクールで奏が弾いていたモーツァルトの『ピアノソナタ十八番、イ短調』が頭の中に聴こえてきた。

悲しいほどに美しい旋律。

暗闇の中で光を見失い、絶望し、怒る気力すら残されていないのだ。


事件の日から奏はどれだけ苦しんできたのだろう……。

その苦しみは過去形ではなく、これからも続いていくのだろうか……。


奏が頬を濡らしたまま、ゆらりと立ち上がり、ベッドサイドのチェストの前に立つ。

引き出しから取り出したものは文庫本で、立ったままページをパラパラとめくると、間に写真が一枚挟まっていた。

本を置き、写真だけを左手に持つ彼。

私は真横から覗き込んで、ハッとした。

私と奏の五歳の写真……。


私と同じ写真を、奏も大事に持っていてくれたなんて驚いた。

喜ぼうとしたら、写真を見つめたままの奏に「綾……」と話しかけられた。


「君との約束、守れそうにないんだ。
手術を繰り返しても、元には戻れない。下手なピアノしか弾けない。
母さんに言わなきゃな……諦めようって……」


五歳の私に話しかける、悲しい声。

それを聞いて、私の目からも涙が溢れた。

奏は静かに泣いているけど、私は子供のようにしゃくり上げ、「ごめんなさい」と繰り返す。


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