君の声が聞こえる
5
「で、駆琉っちはどうすんの?」
放課後になるとクラスメート達はみな、それぞれの時間の使い方をする。買い物に行ったり、デートをしたり。
今日は部活紹介があったから、気になった部活を見学しにいく……という会話も聞こえた。
そんなざわざわとした雰囲気のなか、フットサル部に行くらしい勇介に話しかけられる。帰る準備をしていた駆琉は手をとめ、少し眉を寄せた。
「どうするって何が?」
「魅力がどうとかいってたじゃん。何か部活とか見学しにいく感じ?」
「いや僕はほら……心が痛むから家で治療しないといけないから」
「帰るのかよ」
そもそも、中学時代から自分は運動部と関わることがなかった。高校ではもちろん帰宅部を選ぶ予定だったし、部活なんてーーー……ふと、駆琉は彩花を見た。ちょうど彼女も帰る準備をしている。
(安西さんは結局、スイミング同好会に入らないのかな)
勇介が「フットサル部に入るなら見学に来てなー!」と笑う。
もし自分が部活を頑張れば、彩花もほんのちょっとは自分を見てくれるのだろうか。彼女に「どこを好きになれっていうの?」と尋ねられたとき、自分に少しでも胸を張れるのだろうか。
「奏くん、ちょっといい?」
部活に向かう勇介に手を振り返していると、後ろから声をかけられる。
ビクリ、として駆琉が振り返るとそこにはーーー彩花の友達の、あの小柄な女の子がいた。
「え、っと……なに?」
彩花からストーカー扱いされ、近付かないでとまでいってきた女の子だ。
そんな女子生徒がまさか話しかけてきてくれなんて。また怒られるのではないか、と駆琉は挙動不審になりつつ、尋ねた。
すぅ、と女子生徒が息を吸い込む。
(や、やっぱり怒鳴られるやつ?)
駆琉が怒鳴られる覚悟を決めたとき、女子生徒は深々と頭を下げた。
「さっきはありがと! 彩花のこと守ってくれて!」
駆琉は目を丸くして、何度かまばたきをした。怒られる覚悟をしていたのに、お礼を言われるだなんて。彩花も見ているのか、と視線を向ければ、もう彼女は帰宅したようだった。
「いや、その、全然」
「キコも止めようと思ったんだけど、恥ずかしくて。キコの彩花に近付かないで、とかいったのにほんとなんか、情けなくて」
「僕はその、むしろ、いらないことしちゃったかなって思ってたくらいだから」
「いらないこと?」
女子生徒は顔をあげる。
胡桃みたいな丸い目を見返しつつ、駆琉は頷いた。
「だって安西さんは困ってたけど、その……」
(水泳が大好きだ、といってたから)
水泳はやめたともいっていたけれど、彩花は大好きだと確かに思っていた。
でもそれを言ってしまうと、自分が彩花の心の声が聞こえるというところまで説明しなければいけない。他人がそれを聞いたらどんな風に思われるか、駆琉にはもう痛いほどわかっていた。
だからこそ何と言えばいいかわからず、一度口ごもる。頭の中に一瞬思い浮かんだのは、体育館のプールで泳いでいた彩花の姿だった。
「昨日、泳いでたから。スイミング同好会には入りたかったのかもって」
それを呟いた途端、女子生徒の丸い目がもっと丸くなった。
「彩花が泳いでた?」
そんなにも驚くことだっただろうか。
女子生徒の真ん丸になった目を見ながら、駆琉は頷くしかなかった。
頭の中に浮かぶのは彩花の泳ぐ姿。白い手が羽のように動いている姿。息を飲むほど美しくて、制服を着て歩いていることが不思議なくらいに泳ぐ姿は印象的だった。
それなのに女子生徒は呆然としたまま、何かを考えている。
「彩花が、泳ぐはずない……」
まるで独り言のように、女子生徒はいった。
「どうして?」
心の中で尋ねたつもりだったのに、駆琉の声は口から飛び出していた。
泳ぐはずない? どうして? 彼女はあんなに綺麗なのに。彼女の泳ぐ姿は今でもこうして、目に焼き付いているのに。
「だって彩花は………………」
女子生徒はそこで口を閉ざし、眉を八の字にする。
数秒間の沈黙。
放課後のざわめき。
それに溶けてしまいそうな声で、彼女はいった。
「だって私が、彩花に水泳をやめさせたんだもん」
駆琉の頭の中で、彩花が美しく泳いでいた。
「なに、それ……どういう、こと?」
女子生徒は眉を寄せたままでうつ向いた。
何だか胸の奥がざわめく、こんなこと知ってしまってもいいのだろうか。
『水泳が大好きだったのに』。
でも知りたい、あのときの彩花の声はあまりに悲痛だった。そしてあまりにも、泳ぐ彩花は綺麗だった。
だからもっと彩花を知りたい。
ほんの少しでもいいから、彼女の心の痛みを。
「…………私が」
「おったーー! 少年! 安西さんのことスカウトしに来てんけど安西さんの行方知らんー!? あ! 安西さんの友達のちっちゃい子もおるやん! 安西さんどこー!?」
女子生徒が口を開いたとき、1年1組の教室に乱入してきたのは、部活紹介のときに水着姿だったスイミング同好会の会長だった。
ショートカットにキツネっぽい顔の会長は、駆琉を見てにへらと笑ったのだった。
「…………とりあえず、ファミレスでも行く?」
女子生徒が呆れた顔で頷いた。
「で、駆琉っちはどうすんの?」
放課後になるとクラスメート達はみな、それぞれの時間の使い方をする。買い物に行ったり、デートをしたり。
今日は部活紹介があったから、気になった部活を見学しにいく……という会話も聞こえた。
そんなざわざわとした雰囲気のなか、フットサル部に行くらしい勇介に話しかけられる。帰る準備をしていた駆琉は手をとめ、少し眉を寄せた。
「どうするって何が?」
「魅力がどうとかいってたじゃん。何か部活とか見学しにいく感じ?」
「いや僕はほら……心が痛むから家で治療しないといけないから」
「帰るのかよ」
そもそも、中学時代から自分は運動部と関わることがなかった。高校ではもちろん帰宅部を選ぶ予定だったし、部活なんてーーー……ふと、駆琉は彩花を見た。ちょうど彼女も帰る準備をしている。
(安西さんは結局、スイミング同好会に入らないのかな)
勇介が「フットサル部に入るなら見学に来てなー!」と笑う。
もし自分が部活を頑張れば、彩花もほんのちょっとは自分を見てくれるのだろうか。彼女に「どこを好きになれっていうの?」と尋ねられたとき、自分に少しでも胸を張れるのだろうか。
「奏くん、ちょっといい?」
部活に向かう勇介に手を振り返していると、後ろから声をかけられる。
ビクリ、として駆琉が振り返るとそこにはーーー彩花の友達の、あの小柄な女の子がいた。
「え、っと……なに?」
彩花からストーカー扱いされ、近付かないでとまでいってきた女の子だ。
そんな女子生徒がまさか話しかけてきてくれなんて。また怒られるのではないか、と駆琉は挙動不審になりつつ、尋ねた。
すぅ、と女子生徒が息を吸い込む。
(や、やっぱり怒鳴られるやつ?)
駆琉が怒鳴られる覚悟を決めたとき、女子生徒は深々と頭を下げた。
「さっきはありがと! 彩花のこと守ってくれて!」
駆琉は目を丸くして、何度かまばたきをした。怒られる覚悟をしていたのに、お礼を言われるだなんて。彩花も見ているのか、と視線を向ければ、もう彼女は帰宅したようだった。
「いや、その、全然」
「キコも止めようと思ったんだけど、恥ずかしくて。キコの彩花に近付かないで、とかいったのにほんとなんか、情けなくて」
「僕はその、むしろ、いらないことしちゃったかなって思ってたくらいだから」
「いらないこと?」
女子生徒は顔をあげる。
胡桃みたいな丸い目を見返しつつ、駆琉は頷いた。
「だって安西さんは困ってたけど、その……」
(水泳が大好きだ、といってたから)
水泳はやめたともいっていたけれど、彩花は大好きだと確かに思っていた。
でもそれを言ってしまうと、自分が彩花の心の声が聞こえるというところまで説明しなければいけない。他人がそれを聞いたらどんな風に思われるか、駆琉にはもう痛いほどわかっていた。
だからこそ何と言えばいいかわからず、一度口ごもる。頭の中に一瞬思い浮かんだのは、体育館のプールで泳いでいた彩花の姿だった。
「昨日、泳いでたから。スイミング同好会には入りたかったのかもって」
それを呟いた途端、女子生徒の丸い目がもっと丸くなった。
「彩花が泳いでた?」
そんなにも驚くことだっただろうか。
女子生徒の真ん丸になった目を見ながら、駆琉は頷くしかなかった。
頭の中に浮かぶのは彩花の泳ぐ姿。白い手が羽のように動いている姿。息を飲むほど美しくて、制服を着て歩いていることが不思議なくらいに泳ぐ姿は印象的だった。
それなのに女子生徒は呆然としたまま、何かを考えている。
「彩花が、泳ぐはずない……」
まるで独り言のように、女子生徒はいった。
「どうして?」
心の中で尋ねたつもりだったのに、駆琉の声は口から飛び出していた。
泳ぐはずない? どうして? 彼女はあんなに綺麗なのに。彼女の泳ぐ姿は今でもこうして、目に焼き付いているのに。
「だって彩花は………………」
女子生徒はそこで口を閉ざし、眉を八の字にする。
数秒間の沈黙。
放課後のざわめき。
それに溶けてしまいそうな声で、彼女はいった。
「だって私が、彩花に水泳をやめさせたんだもん」
駆琉の頭の中で、彩花が美しく泳いでいた。
「なに、それ……どういう、こと?」
女子生徒は眉を寄せたままでうつ向いた。
何だか胸の奥がざわめく、こんなこと知ってしまってもいいのだろうか。
『水泳が大好きだったのに』。
でも知りたい、あのときの彩花の声はあまりに悲痛だった。そしてあまりにも、泳ぐ彩花は綺麗だった。
だからもっと彩花を知りたい。
ほんの少しでもいいから、彼女の心の痛みを。
「…………私が」
「おったーー! 少年! 安西さんのことスカウトしに来てんけど安西さんの行方知らんー!? あ! 安西さんの友達のちっちゃい子もおるやん! 安西さんどこー!?」
女子生徒が口を開いたとき、1年1組の教室に乱入してきたのは、部活紹介のときに水着姿だったスイミング同好会の会長だった。
ショートカットにキツネっぽい顔の会長は、駆琉を見てにへらと笑ったのだった。
「…………とりあえず、ファミレスでも行く?」
女子生徒が呆れた顔で頷いた。