君の声が聞こえる
4
「あのさぁ、全っ然ダメ! 彩花が楽しくなさそうに泳いでるんだけど!」
駆琉がプールを出たところで、見学していたらしい希子が話しかけてくる。
ああ、やっぱり親友から見ても彩花は楽しそうに泳いでいなかったんだ。
彼女は今日も「全然ダメ」と「こんなのじゃダメ」を繰り返し、見ている限りは美しく泳ぎ続けていたーーー……けれど、彩花は楽しくなんかないんだ。
「ねぇ、何で? キコはね、奏くんが『安西さんが水泳が好きなら泳いでほしいって思う』って聞いて、彩花に水泳を再開してほしいって思ったの。泳いでる彩花は本当にカッコ良くて、綺麗で、大好きだから。だから……」
駆琉の頭の中で彩花の心の声がよみがえる。
「全然ダメ」、「どうして、泳げないの」、「こんなのじゃダメ」。
彩花は苦しんでいた、泳げば泳ぐほどに。
(僕が安西さんをプールに連れ戻したから)
「彩花が苦しんでる姿なんてもう見たくない!」
希子が叫んだ。
その通りだ、と駆琉は思う。
(僕は安西さんのクロールが好き)
彩花の美しいクロール。
誰よりも美しくて、見ていると自分まで真っ白な世界に連れて行かれる。
(安西さんの真っ白か世界が好き)
何も恐れるものもない真っ白な世界。
駆琉はそれが本当に羨ましくて、そんな風に泳ぎたかった。
彩花のように泳げたとしたら、彩花の世界は怖いものなんてないだろう、と思った。
「僕は安西さんのクロールが好きだから、安西さんも水泳を愛してるから、それだけでいいって思ったんだ」
本当に自分はわかっていたのだろうか。
彼女が「どんな気持ちで」水泳をやめたのか。
「どうして」水泳をやめたのか、ってことを。
自分だけが彩花の心の声が聞こえるから、何でもわかると思っていたけれどーーー……。
「彩花をもう苦しめないでよ」
希子の言葉に、駆琉は何も言い返せなかった。
彩花に泳いでほしい、と願ったのは自分で、泳いでくれたのは彩花。
彩花は本当に、泳ぎたいと願ったのだろうか。
(僕は本当に、やってはいけないことをやっちゃったのかもしれない)
彩花の手をとって、深海に連れていって。
美しいクロールがもう1度見たいと理想だけを押し付けて、彼女をがんじがらめにした。
逃げられないようにしてしまった。
(僕は安西さんが好き。安西さんにも好きになってもらいたい、安西さんはとても強いから、だから、安西さんはとても強くて、強くて、だから僕の言葉に「イヤだ」なんて言えなくて)
きっとそれで彩花を傷付けた。
ならば僕がすべきことはーーー……。
「このまま彩花が苦しそうに泳ぐって言うなら、キコが彩花をスイミング同好会からやめさせるからね!」
うん、と駆琉は頷きかけた。
自分にできることは、彩花を解放してあげることだと思ったから。
首を縦に振ろうとした瞬間、声がする。
「そんなことしなくていいよ」
駆琉と希子が同時に振り返ると、体育館の入り口に彩花が立っていた。
その黒い髪はまだ濡れていて、急いで出てきたらしいことが見てとれた。
彩花はすぅ、と息を吸い込んで希子をしっかりと見る。真っ黒な瞳。凛とした、その姿。
「大丈夫だよ、希子。私、水泳が好きだから」
水泳を語るとき、彩花は多分この世界で1番美しい。
咲き乱れる花のような強さを湛え、彼女はしゃんと立つ。
「また昔みたいに泳ぎたい。だから、大丈夫。見ててよ、私を。希子が安心するくらいに強い私になるから」
だからもう大丈夫だよ、と彩花は続けた。
希子は口を開いたが結局何も言わなくて、ただ笑顔を浮かべる。
「うん、わかった。応援してる」
「ありがとう」
多分親友同士にとって、会話はそれだけでよかった。
部活の練習があるから、と希子は走っていって、駆琉と彩花だけが残される。
「もう今日は練習に戻らないよね。ちょっと歩かない?」
水に濡れた黒髪をかきあげながら、彩花が微笑んだ。
「あのさぁ、全っ然ダメ! 彩花が楽しくなさそうに泳いでるんだけど!」
駆琉がプールを出たところで、見学していたらしい希子が話しかけてくる。
ああ、やっぱり親友から見ても彩花は楽しそうに泳いでいなかったんだ。
彼女は今日も「全然ダメ」と「こんなのじゃダメ」を繰り返し、見ている限りは美しく泳ぎ続けていたーーー……けれど、彩花は楽しくなんかないんだ。
「ねぇ、何で? キコはね、奏くんが『安西さんが水泳が好きなら泳いでほしいって思う』って聞いて、彩花に水泳を再開してほしいって思ったの。泳いでる彩花は本当にカッコ良くて、綺麗で、大好きだから。だから……」
駆琉の頭の中で彩花の心の声がよみがえる。
「全然ダメ」、「どうして、泳げないの」、「こんなのじゃダメ」。
彩花は苦しんでいた、泳げば泳ぐほどに。
(僕が安西さんをプールに連れ戻したから)
「彩花が苦しんでる姿なんてもう見たくない!」
希子が叫んだ。
その通りだ、と駆琉は思う。
(僕は安西さんのクロールが好き)
彩花の美しいクロール。
誰よりも美しくて、見ていると自分まで真っ白な世界に連れて行かれる。
(安西さんの真っ白か世界が好き)
何も恐れるものもない真っ白な世界。
駆琉はそれが本当に羨ましくて、そんな風に泳ぎたかった。
彩花のように泳げたとしたら、彩花の世界は怖いものなんてないだろう、と思った。
「僕は安西さんのクロールが好きだから、安西さんも水泳を愛してるから、それだけでいいって思ったんだ」
本当に自分はわかっていたのだろうか。
彼女が「どんな気持ちで」水泳をやめたのか。
「どうして」水泳をやめたのか、ってことを。
自分だけが彩花の心の声が聞こえるから、何でもわかると思っていたけれどーーー……。
「彩花をもう苦しめないでよ」
希子の言葉に、駆琉は何も言い返せなかった。
彩花に泳いでほしい、と願ったのは自分で、泳いでくれたのは彩花。
彩花は本当に、泳ぎたいと願ったのだろうか。
(僕は本当に、やってはいけないことをやっちゃったのかもしれない)
彩花の手をとって、深海に連れていって。
美しいクロールがもう1度見たいと理想だけを押し付けて、彼女をがんじがらめにした。
逃げられないようにしてしまった。
(僕は安西さんが好き。安西さんにも好きになってもらいたい、安西さんはとても強いから、だから、安西さんはとても強くて、強くて、だから僕の言葉に「イヤだ」なんて言えなくて)
きっとそれで彩花を傷付けた。
ならば僕がすべきことはーーー……。
「このまま彩花が苦しそうに泳ぐって言うなら、キコが彩花をスイミング同好会からやめさせるからね!」
うん、と駆琉は頷きかけた。
自分にできることは、彩花を解放してあげることだと思ったから。
首を縦に振ろうとした瞬間、声がする。
「そんなことしなくていいよ」
駆琉と希子が同時に振り返ると、体育館の入り口に彩花が立っていた。
その黒い髪はまだ濡れていて、急いで出てきたらしいことが見てとれた。
彩花はすぅ、と息を吸い込んで希子をしっかりと見る。真っ黒な瞳。凛とした、その姿。
「大丈夫だよ、希子。私、水泳が好きだから」
水泳を語るとき、彩花は多分この世界で1番美しい。
咲き乱れる花のような強さを湛え、彼女はしゃんと立つ。
「また昔みたいに泳ぎたい。だから、大丈夫。見ててよ、私を。希子が安心するくらいに強い私になるから」
だからもう大丈夫だよ、と彩花は続けた。
希子は口を開いたが結局何も言わなくて、ただ笑顔を浮かべる。
「うん、わかった。応援してる」
「ありがとう」
多分親友同士にとって、会話はそれだけでよかった。
部活の練習があるから、と希子は走っていって、駆琉と彩花だけが残される。
「もう今日は練習に戻らないよね。ちょっと歩かない?」
水に濡れた黒髪をかきあげながら、彩花が微笑んだ。