黄昏の千日紅
硝子扉の前まで行くと、カウンター席に彼女の姿はなかった。
今日はやはり居ないのか、単に俺の方が早かっただけなのか。
少しがっかりしたような、ほっとしたような、自分でもよく分からない複雑な心境のまま、扉に手を掛ける。
閉め切っている所為か、もわっとした湿気を含む空気が俺の全身を包み込み、何千冊と密集する、本特有の黴臭い古風な匂いが鼻につく。
初めて足を踏み入れたそこは、想像していたよりも意外に広く、誰もいない静かな空間が広がっていた。
東棟の騒音から隔離されたこの場所は、ただ沢山の本が静かに俺を見下ろしているだけで、何故かとても心地の良いものに感じられる。
意味もなく、ぐるりと室内を一周してみる。
まるで世界が音を失ったかのような静けさで、この世にたった一人になったような不思議で奇妙な感覚だ。
暫く見渡していると、さ行の列に” 残炎の候 ”と書かれた本が目に入った。
俺はその本をずらりと並ぶ本の中から抜き取ると、その場でぱらぱらと捲ってみる。
「うわ、懐かし」
確か、俺が中学に上がる頃に親父に勧められて読んだものだった気がする。
知名度はあまりないこの本を、まさかあの彼女も読んでいただなんて。