黄昏の千日紅
「痛みますか?」と、彼女が初めて言葉を発する。
大丈夫ですか、と訊かない所が、きっとこの人の美しい人格を表しているのだろう、と朦朧とする意識の中で、ふと思った。
俺は「ありがとう」とだけ言うと、彼女は静かに顔を横に振った。
「傘、使いますか?」と訊いてくれる彼女の優しさに、俺は胸がぎゅうっと締め付けられる。
他人に優しくされたのは、オーナー以来初めてのことだった。
俺は静かに顔を横に振ると、彼女は困ったように眉を少し下げ微笑むと、口を開いた。
「すみません…私、時間が無くて。本当、すみませんが…」
そう言って立ち上がろうとする、彼女の腕を咄嗟に俺は掴んでしまっていた。
無意識か、何故掴んでしまっていたのかその時のことを思い出してもあまり憶えていない。
しかし、引き留めなければいけない気がした。
もう会えなくなってしまうことが、多分、怖かった。