黄昏の千日紅
「あの、名前とか、…職場とか……」
俺は切れた口元が痛むことを無視して、彼女に問いかける。
ちゃんと話せていたかは分からない。
彼女は少しばかり困った表情を浮かべた。
途端、取り繕うように俺が口を破る。
「…あ、俺は…ハヤトっていいます。その…お礼、したいので」
すると、彼女はふわり、と華のように美しく微笑んで言った。
「お礼なんて要らないですよ」
そう言われ俺が黙っていると、少しの沈黙を経て、彼女が口を開いた。
「…夏木です。ここの道抜けた先のファストフード店でバイトしてます」
彼女は優しい笑みを浮かべ、そう言ってこちらに軽く会釈すると、相当時間が危ういのか足早に去って行った。
俺は、腫れた重い瞼から見える彼女の後ろ姿を、小さくなるまで眺める。
彼女のそれが、真実だったかは分からなかった。
見ず知らずの、しかもこんなみすぼらしい格好をしている男に、本当の事を打ち明けるかと言ったら普通はしないであろう。
ナツキが苗字か、それとも名前なのかすら、分からなかった。
しかし、それを間に受けた俺が後日、時間の空いた時や休日に、近辺のファストフード店を巡って、彼女を探し回っていた、だなんて今となっては言える筈がない。