キャンバスの前の礼拝者
そこまでして自分を見せない二ノ宮くんの過去に、何があったのかは分からない。


けれど、過去の深い哀しみ、それから『何か』に対する義務感が、彼に絵を描かせているのだろうと判断した。


そんなことがあってから、二ノ宮くんとよく話をするようになった。


自分の作品が、誰にどのような解釈をされてもかまわないということ。


好きな絵を好きなときに描きたいから、プロにはならないこと。


一生、ただの『絵描き』でいたいということ。


いろいろな話を彼としたけれど、過去の話は一切口にはしなかったし、彼の絵も変わることはなかった。


……私が、哀しみを減らしてあげることはできなかった。


二ノ宮くんは、自分が生み出す作品に評価を求めてはいない。


けれど、ただ描きたいから描く、という感じもない。


『なにか』のために描いている、というのがしっくりくる表現。まるで神にささげる宗教画のように。


だが、彼の絵は変わった。


「さすが先生ですね。御見それしました」


少しおどけたように、二ノ宮くんは肩をすくめる。


それは照れ隠しの肯定なのか、それとも遠まわしの拒絶なのか。


私は口を閉ざして返答を待つ。

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