机上の言の葉
 食事を終えてファミレスを出た後は、大学近くにある運動公園に向かった。

 平日の昼間だと人が少ない割にサークルで使われることも多く、男女が木のテーブルを挟んで雑談していても目立たないから。

 通った人の殆どはサークルの打合せか何かだと思うだろう。何よりお金がかからない。

『でも、良かった。成宮君が優しい人で』

「優しくはないと思うけど」

『確かに優しいフリしているだけって、可能性はあるよね。

 何かと装って近づいてくる人は多かったし』

「僕も装っていないって証明は出来ないんだけど……」

 音無さんの事を考えたら、どうにも気落ちしてしまう。

 木製のテーブルに落とした視界に音無さんの携帯が映った。

『成宮君はそんな人じゃないって信じてるよ。

 だって、成宮君とはずっとやり取りしてたからね』

「えっと……ありがとう」

 何と言って良いものか分からないままに、曖昧にお礼を言ったせいか、音無さんが何かを考え込んでまた文字を打ち始めた。

 正面にいる僕からでは見えないが、多分音無さんの後ろに回れば何を打っているのか覗き見ることは出来るだろう。

 とてもズルいような気がするから見ないけれど。

『じゃあ、成宮君を信じるって証拠に、連絡先交換しよ?』

「あー……うん。良いんだけど、使い方わからないんだよね。

 親が勝手に連絡先を交換したっきりだから」

 音無さんが目を丸くするので、アドレス帳を開いて見せる。

 驚いている音無さんを無視して「こういうわけだから、やり方が分かるなら音無さんが操作してくれた方が良いかも」と付け加えた。

『いいけど、今まで連絡する時どうしていたの?』

「連絡する必要がなかったから。案外困らないモノだよ」

 音無さんが、僕よりも僕の携帯を器用に扱う隣で、質問の答えを返す。

 返事の出来ない音無さんが、じっとこちらを見たのだけれど、その意図をくみ取ることは出来なかった。

 ほどなく寂しかったアドレス帳に花が加わり、内心感動する。

 何故か音無さんも嬉しそうな顔をしていた。

「どうしたの?」

『これで私が成宮君の携帯番号を知っている、最初の友達って事になるでしょ?』

「言われてみたらそうなるね」

『成宮君の初めて奪っちゃった』

 見せたそばから恥ずかしそうに顔を朱に染めないで欲しい。

 こちらだって反応に困る。

『冗談は置いておいて、よろしくね』

「よろしく……はいいんだけど、友達でいいの?」

『駄目なの?』

「駄目じゃないけど、僕で良いのかな?」

『友達って良いとか悪いってモノじゃないと思うよ』

 そう言うものなのかと納得する。僕としても、こうやって話が出来る人が増える事は嬉しいので、これ以上は追及しない。

 音無さんは立ち上がり携帯を弄り始めた。

 しばらくして『じゃあ、また今度ね』とメールが届いたかと思うと、音無さんが手を振っていた。

 こちらも手を振り返したのを見て、音無さんが歩き出す。

 背中を見送る中で、まだ話したいことがあったのにとか、送ろうかと尋ねるべきだったかなとか、思う所はいくつかあったけれど、連絡先も交換したしまた話す機会もあるだろうから僕も気にせずに帰る事にした。



     *



 音無さんと別れた運動公園から下宿までは、歩いて二十分くらいで到着する。

 比較的平らなところが多いこの町は自転車の台数が多く、僕自身も自転車を持ってはいるけれど、徒歩で問題ないので運動ついでに歩いている。

 もしも今日自転車だった場合、家まで十分もかからなかっただろうけれど、別に急ぐ必要が無いのだ。

 音無さんも家についていたらしく、メールが届いていた。

『今日はありがとう。急なんだけど、今週末暇じゃないかな?』

 早速コンビニにでも行くのだろうか。こちらの予定は基本的に授業以外空白なので休日は問題なく空いている。

 何もやる事もないし、大丈夫かなと思いメールを返すことにした。

『こちらこそありがとう。週末は大丈夫だよ』

 こうやってメールを送るのはいつぶりになるだろうか。病気になって仕方なく授業を休む際に教授に送った時以来だと思うが、友達にとなると初めてのような気がする。

 この日は楽しかった事もあり妙に疲れていたのか、そのまま眠ってしまった。



     *



 朝起きたら身体がべたべたしていたのでシャワーを浴び、薄暗い部屋に戻ったらチカチカと携帯が光っていた。

 どうやら音無さんからメールが届いていたらしい。昨日の事は夢ではなかったんだなと確認すると同時に、届いた時間を見て申し訳なくなる。

 送られていたのは昨日の夜。内容は待ち合わせの具体的な情報。

『ごめん、寝てた。時間と場所は大丈夫』

 返信をして、時間を潰す意味も込めて朝食を作る。

 先ほど目に入った時計は六時丁度を指していたが、習慣的に五分早めている時計であるので、六時にはなっていない。

 授業の為に家を出るのが八時だとしても、あと二時間弱はある。



 一通り朝の雑事が終わっても、時間は七時半を過ぎたくらいだった。

 微妙に余ったこの時間では、特に何もできないので、カバンを持って家を出る。

 いつもよりも早く家を出たので、いつもよりもゆっくりと学校に向かう事にした。

 幸い胸が透くような青空で移動に困る事はなく、もう夏と言って良い季節のためか雲が近くに感じる。

 浮かんだ雲の影が遠く山の上に落ちている様子は、雲の存在を確かに感じられて、小さな悩みがどうでもよくなってきた。

 しかし、歩いている時は考え事がはかどるもので、昨日の事が思い出される。

 音無さんの声の事、僕は治す方法を一つ知っている。

 アリスが願いを叶えてくれる魔法使いであることを、教えてあげれば良かっただろうか?

 暫く考えてみたが、アリスが要求する代価によっては、ぬか喜びさせるだけになってしまうから、教えなくて良かったと思う。

 アリスの所にはお使いについて話を聞きに行かないといけないので、ついでに音無さんの声の代価も訊いておこうか。

 今日の授業は一限と五限だから、間の時間はいくらでもある。

 気が付けば学校前の横断歩道までやってきていて、赤信号にもかかわらず渡っていく自転車や人を横目に信号が変わるのを待った。



 ここのところ授業に身が入らない。今までだって別に真面目に授業を受けていたとはいわないけれど、早く授業が終わってほしい日が増えた。

 やりたいことが出来た、という意味では喜ばしい事だが、コネが八木しかなく過去問を入手する術のない僕にとっては、テストが怖くなる。

 今日はアリスの所に行って話をするだけだから、急ぐ必要も無いと自分に言い聞かせた。
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