机上の言の葉
 アリスのいる――おそらく――元校舎の前、来るのはもう三度目になるのか。

 日光に照らされて熱くなった取っ手を引っ張って中に入る。

 光が遮られた建物の中は、簡単に感じられるほど涼しい。でも魔法とかは関係なく古い建物はこんな風に涼しいイメージがある――イメージと言うだけで、実際行った事なんて数えるほどしかないのだけれど。

 アリスがいる一階の一番奥の部屋までやって来たが、どうやら主は留守らしい。

 過ごしやすい事もあり、適当に椅子に座ってうつらうつらとしていたら、急に肩を叩かれハッと意識を取り戻した。

「おはようカズト君」

「おはようございます」

「無事に彼女とは会えたみたいだね」

 こちらの様子など意に介さないアリスが、話を進めてしまうので、状況把握よりも先に言葉を探す。

「音無さんには会えましたね」

「可愛い子だったでしょ?」

「否定はしませんけど、今日はお使いについてと、音無さんの事について訊きに来ました」

「うん、知ってた」

 前者はともかく、後者を聞いても当然と言わんばかりのアリスに何かされたかなと思ったけれど、よほど意地悪でもない限り音無さんの喉について話に来ることはわかるか。

 早速本題に入ろうかとしたのだが、アリスが「ところで」仕切り直した。

「今日は何時までいるつもりなの?」

「この後五限まで暇なので、適当に居させてもらおうと思ったんですけど、何かあるんですか?」

「ちょっとね。昼休みが終わる前には出て貰わないとかな」

 アリス自身の授業でもあるのだろうか? 授業じゃなくても、用事くらいあるか。

「なら、正午前には帰ります」

「で、カズト君は唄ちゃんの声をどうにかしてほしいから来たんだよね?」

「そうですよ。アリスなら何とかできるんじゃないですか?」

「まあ、治そうと思えば治せるよ」

 猫のように目を細めて笑うアリスの言い方が、何処となく引っかかる。

 しかし、じっとアリスを見てみても、その腹の内をさぐれる気はしない。

「代価は何ですか?」

「今のカズト君が持っていない物、かな。これ以上は秘密」

「音無さんが持っていたりは」

「しないね」

 きっぱり言われて、胸を撫で下ろす。

 音無さんの声をすぐに治すのは、現実では難しいのだろう、結果論になってしまうが、音無さんをぬか喜びさせなくて良かった。

「魔法使いって、皆アリスみたいなんですか?」

「私みたいっていうと?」

「とらえどころがないと言うか、悪戯好きそうと言うか」

 僕の言葉にアリスがフフッと余裕の笑みを見せるので、何だかこちらがいたたまれない。

 ちょっと興味があるだけなんだけれど。

「私はどちらかと言えば異端かな。普通は人の前に姿を見せないらしいから」

「アリスの知っている魔法使いも、人前に姿を見せないんですか?」

「私の師匠は基本的に身を隠しているかな。でも、思いついたようにヒトをからかいに出て来るけど。

 そもそも、魔法使いの知り合いが少なすぎて、他の子がどうだって言われても答え難いね」

「魔法使いってそんなに居ないんですか?」

「ほとんどの人が、その存在を知らずに、一生を終えるくらいには少ないよ。

 魔法使いって括りで見たら、私は新米もいいところだろうし」

 魔法使い同士繋がっていると言う事も無いのか。

 考えてみたら、同じ大学生として魔法使いがいるこの大学は、世界的にも珍しいのかもしれない。

 だが、実は今までに出会って来た人の中に、魔法使いが居た可能性もある。

「例え魔法使いがいたとしても、魔法使いだって認識できなかったら、居ないも同然って考え方もあるよね」

「自然に考えを読まないでください」

 ニコニコと悪びれる様子も無いアリスには、何を言っても無駄だと悟った。

 少なくともこちらの気持ちだけでも分かってもらおうと、わざとらしくため息をついてから、応える。

「確かに知らないままだったら気にしていないと思いますけど、現実に目の前に魔法使いがいて、実際に魔法を見せられたんですから考えずにはいられないんですよ」

「だと思った」

「もう何も言いませんよ」

 拗ねて見せた僕に対して、アリスが「ごめんごめん」と平謝りをした。

「お詫びに紅茶、飲む?」

「いつも紅茶勧めてきますよね」

「要らない?」

「飲みます」

 いつも通り、どこから取り出したのかわからない紅茶入りの紙コップを受け取る。

 紅茶と言う割には紅くはなく、優しく甘い香りがする。

 試しに口をつけて見たところ、スッとした淡い甘みがあって個人的には飲みやすい。

「何か落ち着く味ですね」

「そう言う魔法をかけているから」

「本当ですか?」

「カズト君、カモミールってハーブティー知ってる?」

「聞いた事くらいはありますけど」

 詳しくは知らないけれど、カモミールにリラックス効果があるのだろう。

 気持ちが落ち着いたように感じたのは、魔法ではなく紅茶自身の効果というわけか。

「一応念を押しておくけど魔法はかけてるよ」

「どっちなんですか」

「どっちも。もともとお茶の持っている効果を、ちょっとだけ後押しするような魔法だからね。

 カズト君が知らないだけで、世の中魔法であふれているのかもしれないよ」

 さっき似たような事を考えていたら、からかわれた記憶があるのだけれど。

 何か言い返したいのを我慢して、別の所を突っつく事にした。

「これハーブティーなんですよね。最初に紅茶って言いませんでした?」

「カズト君はハーブティーとか紅茶とか気にするタイプ?」

「いえ、違いますけど」

「だったら、分かりやすいんじゃない? ハーブティーと紅茶の違い知らないでしょ?」

 正論を言われているようで、言い返せない。

 口を閉ざした僕に対して、アリスの無慈悲な説明が始まる。

「簡単に言うと、紅茶が茶葉を発酵させて煎じたもので、ハーブティーはそれ以外の草花を煎じたものって感じかな」

「そうなんですね」

「ね、興味ないでしょ?」

 アリスの言うとおりであるのだけれど、僕の指摘自体は間違っていなかったとも言える。

 だが、変に意地を張ってもこちらが子供っぽいだけなので、出来るだけ普通の顔をして頷いた。

 目を細めるアリスには、僕の考えはバレバレだったのだろうけれど。

「音無さんの話に戻しますけど、今は持っていないって事は、いつかは手に入るって事ですか?」

「うーん。カズト君次第ってところだけど、無理ってわけじゃないね。

 その時が来たら連絡してあげようか?」

「お願いします。でも、どうやって教えてくれるんですか?

 アリスって携帯持ってましたっけ?」

「心配しなくても大丈夫だよ」

 心配というよりも、興味の方が大きいのだけれど。

 フクロウが手紙を運んで来たり、急にアリスが家の鏡に現れたりするのだろうか?

 そう言えば、家に鏡ってあったっけ?

「カズト君の家に鏡があるかは知らないけど、方法を知りたいなら頑張ってね」

「何を頑張ればいいか分からないけど、頑張ります。

 ところで、次のお使いって何をしたらいいんですか?」

 一つの目的はこれで達したとして、もう一つに移る。だが、アリスが露骨に忘れていたと言う反応を見せたので、言わなければよかったかもしれない。

「言わずにずっとお使いしてくれなかったら、唄ちゃんとの出会いが無かった事になるけどね」

「さらっと凄い事言いますね」

「次のお使いはこれ」

 渡された手のひらサイズのメモ用紙には『ヤドリギ』とだけ書かれている。

「ヤドリギ……ですか?」

「パナケアって言った方が良いかな?」

「どっちでも分からないです。聞いた事くらいはありますけど、実際に見たことはないです」

「宿り木、書いて字のごとく他の木に寄生する植物だよ」

 アリスが『宿り木』と書き直すけれど、僕もそれくらいは知っている。

 問題は見たことが無いので、どれがヤドリギなのか分からないと言う事だ。

「調べてみたら分かると思うけど、木の高い所にくっ付いている、マリモみたいなやつだよ」

「マリモも実物は見た事無いですが、分かりました」

 想像は出来ないけれど、調べたら画像もどういう木に寄生しているのかもわかるだろう。

「今回はどの木のヤドリギでもいいんだけど、取る時に地面に落とさないようにしてね」

「何で落としちゃ駄目なんですか?」

「ヤドリギの力が吸い取られちゃうからね」

 ヤドリギの力って何だろうかと思ったが、アリスは魔法使いなのだ。

 僕には分からない事でも、きっと何かしらの意味があるに違いない。

「やっぱり、魔法的にはヤドリギじゃないといけないんですか?」

「私がやりたい事としては、別にヤドリギじゃなくてもいいんだけどね。

 カズト君に集めてきてもらうものが水銀と硫黄と塩に変わるだけ」

 ヤドリギともう一つ、水銀と硫黄と塩、この二組がどう共通して、どう違うのかは僕にはわからない。

 ただ、ヤドリギと何かか、水銀と硫黄と塩かと言われたら、ヤドリギの方が見つけやすそうな気はする。

「期限はあるんですか?」

「なるべく早い方が良いけど、この日までにって言うのはないよ。

 大きさや部位の指定もまあ、ないかな」

 早い方がと言われても、ヤドリギを持ってくるまでにふつうどれくらいかかるか分からないから、困るのだけれど。

 今日は一度帰って、ヤドリギについて少し調べてみよう。

「じゃあ、もうすぐお昼ですしそろそろ帰ります」

 頭を下げて部屋を出る。

 同い年と言う事なので、軽いあいさつでいいのだろうけれど、どうしても丁寧さが抜けない。

 たぶん僕の中で、仲の良い先輩くらいのポジションとして、アリスを認識しているのだろう。先輩なのに名前だけ呼び捨てだけど、そもそも“アリス”は本名ではないのだから折り合いがついているのだと納得して、一度家に戻る事にした。
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