机上の言の葉
 週末、大学の学食近くにある日除けの付いたベンチに腰かけていた。

 時刻は九時半。目の前には広場があり、その向こうに教養の授業をするための講義棟が何棟も並んでいる。

 あまり人通りはなく、通り過ぎて行った人の多くが半袖で、女の人の中には長袖の人もいると言う感じ。

 音無さんとの待ち合わせをしているわけだけれど、お互いの家の場所も知らないし、学校がちょうどいいだろうと此処になった。

 この前アリスの所から帰った後、久しぶりにパソコンをつけてヤドリギを調べてみた。

 アリスが言っていた事以上の情報を見つけることは出来なかったけれど、画像で見たヤドリギが本当に木の上になるマリモのようだったのが印象的だった。



 肩を叩かれたのはボーっと空に浮かぶ雲を眺めていた時。

 如何にも夏らしい入道雲が近くに見えて、一雨きたら困るなとか、もうこんなに夏になっていたんだなと感慨に耽っていた。

 ハッとして振り返ったところ、長袖の白いカーディガンを着た音無さんが不機嫌そうに立っている。

 何かしてしまったのだろうかと慌てる僕を前に、音無さんが自分の携帯を指さした。

 何かを打ち込む様子も無いので疑問だったのだが、僕が自分の携帯を見たらいいのかと気が付き携帯を取り出す。

 暗い画面、左上のライトが点滅してメールが届いていることを示していた。

「ごめん、ちょっとボーっとしてて」

 素直に謝ったら許してくれたようで、隣に座って何かを打ち始めた。

『おはよう。何見てたの?』

「何ってわけじゃないけど、入道雲が夏っぽいなと」

 僕の答えが面白かったのか意外だったのか、音無さんはクスッと笑う。

 確かに空をぼーっと眺めているなんて年寄くさいかもしれない。もしくは、青春極まった学生とか。

 音無さんが携帯の画面を僕の視界に紛れ込ませてきたので、益体ない事は置いておいて会話に集中する。

『早かったね。何時くらいからいたの?』

「九時半前くらい。やる事無かったから、遅れないようにしようかと思って。

 そう言えば、今何時?」

 音無さんは携帯の時計を指さしてから、返事を打ち始めた。

 時刻は九時五十分少し前、音無さんも十分に早く来ている部類だと思う。

 小耳にはさむ程度の知識しかないが、遅れる人は平気で一時間とか遅れて来るらしいし。

『遅くなってってほど遅くはないと思うんだけど、ごめんね』

「いいよ。こっちが早く来すぎただけなんだから」

『じゃあ、早速だけどコンビニに行かない?』

 待ちきれないとばかりに音無さんが立ち上がった。

 まるで遠足前の小学生のような表情に、こちらまで楽しくなってくる。

 続いて僕が立ち上がったのを見てから、音無さんは歩き出した。



 音無さんと一緒に歩いている中で、一つ気が付いた事がある。

 歩きながら音無さんと話すのは難しい。前を向いて歩かないと危ないので当たり前ではあるのだけれど、気の利いた話題も思いつかず初めは会話のない移動時間が息苦しかった。

『無理に話さなくてもいいよ。わたしもちゃんと話せないし』

 信号待ちで音無さんがササッとメモ帳に書いた言葉に、肩の荷が降りた様な心地がした。

 実際この後もコンビニに着くまで会話らしい会話は無かったけれど、音無さんは楽しそうにしていた。

 休日午前中のコンビニは、意外と人が少ない。こちらとしてはすぐにホットスナックのコーナーに行くと思っていたが、音無さんはぐるっとまわりこむようにお菓子のコーナーに向かった。

「お菓子でいいの?」

『すっごく迷うと思うから、まずは遠目に観察』

 音無さんが神妙な顔をするので、可笑しさを堪えるのが大変だった。ここまで本気で悩むものなのかと。

 だけど考えてみたら、それほどに我慢せざるを得なかったのか。

 笑いそうになった事は申し訳ないのだけれど、スナック菓子を手にレジの横のケースを見ている音無さんは微笑ましい。

 時間がかかりそうなので、一声かけてコンビニの中を一周したが、音無さんはまだ悩んでいた。

「そんなに悩むなら全部買ったら?」

 音無さんの財布の中にいくら入っているかなんてわからないけれど、仮にも大学生なのだから一つ二百円しない物をいくつか買って困ることも無いだろう。

 しかし、音無さんは恨めしそうな表情をして、『太る』と短い文字を見せた。

 なるほど、女の人は大変だ。しかし音無さんとしては僕がしびれを切らしたのだと感じたらしく、意を決したようにケースの前まで歩を進める。

 ぴんと伸ばした人差し指で、二種類あるから揚げを交互に指している。

 声には出ていないが、どちらのしようかなと言ったところなのだろう。

 止まった指が差しているから揚げを見つめたのち、力強くうなずいた音無さんがこちらを向いた。

 流石に言いたいことはわかるのでレジに向かう。

 店員に声を掛けて、音無さんが迷っていた二つを頼んでお金を払った。

 普段なら声を掛けるのも億劫なのだけれど、今日はどういうわけかすんなりから揚げを買うことが出来た。

 お礼を言って商品を受け取りつつ、音無さんが、というよりも友達が一緒にいるからだろうと結論付ける。

 店員の声に見送られ外に出た後は、近くの公園に向かった。

 小さいなりに、ブランコとすべり台と砂場とシーソーが揃っている公園のベンチは、半分が木の陰に隠れているが、もう半分は日差しに照らされている。

 迷わず日向の方に腰かけたが、幸い木製だったので熱くて座れないと言うほどではなかった。

 音無さんがどうしてだか、申し訳なさそうに隣に座る。

『熱くない? 大丈夫?』

「熱く無い事はないよ。それに音無さんがこっちに座ったら携帯の画面見づらくなるし」

『それだけ?』

「うん」

 こっちに座ってみて暑いから僕が座ってよかったなと思うけれど、座った理由は言葉通り。

 普通に頷いたつもりだったのだけれど、音無さんが声も無く大笑いする。

 何だか釈然としないが、嫌な顔をされるよりも何倍もマシか。

 落ち着いた音無さんに、紙の容器に入ったから揚げを渡す。

 受け取り片手が塞がった音無さんが、慌ただしく空いた手でバックの中を探り始め、ほどなく白い長財布を取り出した。

 如何にも女性らしい財布から、器用に片手で代金を取り出し僕の手に乗せる。

 今日のために用意していたのだろうか、一円違わない代金を僕が財布に入れたのを見届けてから、音無さんが愛おしそうに爪楊枝に刺さったから揚げを見た。

 美味しそうに一つ目を食べる横で、僕ももう一つのから揚げを取り出す。

 買ったから揚げの片方は今音無さんが食べているプレーンな味のもので、もう片方はチーズ味のもの。

 初めて食べるのだけれど、思っていた以上にチーズの風味が強い。何というか、スナック菓子のチーズ味に近いだろうか。

 濃いめの味付けで、噛んだときに肉汁だか油だかが零れそうになった。

 このジャンキーな味をたまに食べたくなる気持ちは分かる。

 一つ目を食べ終え、二つ目に爪楊枝を刺した所で、音無さんがチラチラとものほしそうな顔で僕の持つ唐揚げを見ている事に気が付いた。

 最初からこうするつもりではあったので、丁度刺していたから揚げを音無さんの容器に入れる。

 音無さんはから揚げと僕とを交互に見てから首を傾げて、口を動かした。恐らく『いいの?』と言っているのだろう。

「いいよ。最初からそのつもりで買ったんだし」

 軽く頭を下げた音無さんが、僕があげたから揚げを頬張る。

 目を閉じて味わうように食べる音無さんを見て、買ってきた甲斐があったと満足していたら、今度は音無さんが僕の容器に自分のから揚げを入れた。

 お礼を言って、貰ったから揚げを食べる。

 今度は良く知っているから揚げの味。醤油味ってことで良いのだろう。でも、家で作ってもどうしてもこの味にはならない。

 数分かけてから揚げを食べ終えたところで、両手が自由になった音無さんが携帯を触り始めた。

『ありがとう。美味しかった』

「どういたしまして」

 お礼を言われるほどの事でもないと思うけれど、小さな事でも感謝されることは嬉しい。

 音無さんが間髪入れずに携帯と睨めっこを始めたので、のんびり待っていたのだが、何だか今回は時間がかかっているらしい。

『でも、せっかくならから揚げじゃないのを買ってくれたらよかったのに。鳥のつくねとか』

 言われてみたらから揚げ同士よりも、から揚げと別のものを交換するようにした方が音無さんもより楽しめたように思う。

 気を利かせたつもりで、詰めが甘かったと自分の中で反省したところで、音無さんが画面を切り替えた。

 このギミックの為に時間がかかっていたのか。

『なんて。嬉しかったよ』

「でも、音無さんの言う通りなんだよね」

 音無さんが首を振る。

「そもそも音無さんが食べたそうだから買った物だから。

 初めから、言っておけばよかったね。美味しかったから僕は満足だけど」

 音無さんがポカンとするので「どうしたの?」と声を掛ける。

 音無さんはもう一度首を振った。

『何でも無い、ありがとう』

「そう?」

 音無さんがお礼を言う意味が分からないわけではないけれど、僕がしたことを気にする必要は無いと思う。

 こちらがしたいから勝手にしただけの事だし、音無さんとは友達なのだから。

 学校外の時間でも遊ぶような友達が何年も居なかったから、距離感は分からないのだけれど、悪しからず思ってくれているなら良いだろう。

「そう言えば、鳥つくねの話覚えてたんだね」

『なかなか忘れられないよ。他には何か面白い話ないの?』

「面白い話と言っても……」

 変わらぬ日々を過ごしている僕としては、現状が最近の中では一番面白い状況だとは思う。

 音無さんの言う面白いと、今の僕の面白いはニュアンスが異なる気もするけれど。

「面白いか分からないけど、自販機で千円の葡萄ジュースの夏みかんゼリーが出てきたことあるよ」

 音無さんが首を傾げた。僕自身、自分の事では無かったら何を言っているか分からないので説明を加える。

「家の近くの自販機で、葡萄ジュースを買おうと千円札を入れてね。

 葡萄ジュースのボタンを確かに押したんだけど、出てきたのは隣にあった夏みかんゼリーだったんだよ。

 別に夏みかんゼリーだったのは良いんだけど、お釣りが戻ってこなかったんだよね」

『それでどうしたの?』

「別に何も。家に帰って夏みかんゼリー食べた……飲んだ? よ」

 音無さんが笑い出す。声が無い上に変な点ばかりなので、何が可笑しいのかはわからないけど。

『夏みかんゼリーなのはいいんだ』

「果物っぽい甘さが欲しかっただけって感じもあったから」

『鳥つくねも食べたもんね』

「鳥つくね買ってこようか?」

 さっきのコンビニにあったかは覚えていないけれど。

 音無さんは首を振って、立ち上がり、携帯電話を見せた。

『成宮君、何処か行きたいところある?』

 行きたいところと言われても思いつかないのだけれど、ふとアリスのお使いを思い出した。

「木がいっぱいある所、かな」

『じゃあ、植物園に行ってみる?』

「植物園なんてあるの?」

 僕の疑問に答える事なく、音無さんは先を歩き始めた。
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