机上の言の葉
 ずんずんと歩く音無さんは、一度大学の方へと戻り、総時間三十分足らずで足を止めた。

「こんなに近くに植物園があったんだね」

『春には花見とか出来るんだよ。いろんなサークルが、新歓の一環として使っているみたい』

 だから音無さんは知っていたのかと納得して、入園する。

 植物園に来るのは初めてなので大きさの比較はできないが、案内の看板にはいくつかのコースが提案されてあり、最長のもので一時間半となっているので、広いのだと思う。。

 ちょうど紫陽花と向日葵の間くらいの時期の為か、何組かの親子がいる程度だった。

『やっぱり、時期的に微妙って感じだね』

 入り口近くにあった色あせた紫陽花を見て、音無さんが残念そうに眉尻を下げる。

 もちろん他に綺麗に咲いている花もあるのだけれど、紫陽花や向日葵など季節を代表するような花の方が広い面積を占めているので、寂しさはぬぐえない。

「もう少ししたら、向日葵が綺麗に咲きそうだよね」

『春には桜が綺麗なんだよ。で、成宮君は木を見に来たんだよね?』

 音無さんの疑問に頷いて返す。

『じゃあ、とりあえず桜が沢山ある所に行こうか』

「来た事あるんだよね。お任せしようかな」

 先導する音無さんに続いて、正面にあった階段を上り始めた。

 気にしていなかったが、この植物園は山を含むように作られている。

 ある程度階段を上ったら、山に沿うように道があり、また階段があった。

 音無さんが向かう先は分からないけれど、途中の道でも十分に沢山の木が植えられていて、葉が地面に影を落とし、暑さを和らげている。

 あがった息をそろそろ隠せないなと思った所で、開けた場所に出た。

 子供が遊ぶのに十分な広さのスペースを覆うように、木が植えられている。

『一応ここが一番高い所になるのかな。

 春には此処にシートを敷いてお花見をするんだけど、もう桜も散った後だと人がいないね』

「この周りにある木は桜の木って事?」

 音無さんが頷いたことを確認して、木の高い所に目を向けてみる。

 画像で見た時にはヤドリギが寄生しているかどうかが一目で分かったのだが、どうにも実際見てもよく分からない。

 考えてみたら、画像の木は既に葉が落ちていたのに対して、今は太陽を求めて青々と葉が茂っている時期なのだ。

 これは見つけるのは大変だと思ったのだけれど、園内を広く見渡せるここからだと、意外とすぐに見つかった。

 近づいて見上げてみても、確かにマリモのような緑の球体が付いている。

 でも、マリモよりも何倍も大きくて、バスケットボール以上はあるのではないだろうか。

『何かあったの?』

 音無さんの携帯が、ヤドリギと僕の間に割り込む。

「この木の上の方に、緑の球体が付いてるでしょ?」

『ヤドリギがあるね』

「音無さん、ヤドリギ知ってたの?」

 驚く僕を、音無さんがきょとんとした目で見る。

『うん。友達が言っていたのを覚えていただけだけど。ヤドリギがどうしたの?』

「流石に取ったら怒られるよね」

『成宮君はヤドリギが欲しかったの?』

「僕もどうしてなのか分からないけど、ヤドリギ持ってきてほしいって頼まれたんだよ」

 音無さんが神妙な顔をする。

 でも、嘘も隠し事も無いので、これ以上は続けようがない。

 携帯を睨んだまま、動いていなかった音無さんの手が動き出す。

 何を言われるのかなと緊張していたのだけれど、しばらくして向けられた言葉は『折角だし、今日は園内を見て回ろう?』だった。



     *



 園内での音無さんの行動は、いかにも女の子って感じだった。

 モデルコースを歩きつつ、気に入った花を見つけたら、駆け寄って行って、大きく手を振り僕を呼ぶ。

 呼ばれた僕も、名も知らぬ花を愛でるだけの感性は残っていたけれど、誰かとこうして一緒に何かを見て回る事が久しぶりで、それだけで浮ついていた。

『成宮君つまらない?』

「えっと、そんな風に見える?」

 急に音無さんに尋ねられて、言葉に困る。

『何か、心ここにあらずって感じ』

「楽しいのは楽しいよ?

 でも、こうやって、誰かと歩く事が久しぶり過ぎて、自分でもどういう反応したらいいのか分からないんだよ」

 変な誤解を生まないためにも、正直に話したのだけれど、何故か負けた気がする。

 恐らく音無さんが、年上めいた視線を送ってくるのも、一つの要因だろう。

 その後はさらにこちらを気にかけるようになった音無さんに連れられて、園内のレストランで昼食をとり、広場のようなところでアイスを食べ、入り口に戻って来た時には十分満喫していた。

 傾きかけた太陽の下、背伸びをする音無さんの口が音も無く動く。

 短い言葉ではっきりとはわからないが、『楽しかった』と言ったのだろうか?

 だとしたら嬉しいのだけれど。

「久しぶりにこんなに歩いたから、足痛いかな」

『見かけどおり、成宮君って貧弱だね』

「否定はしないよ。出来ないし」

『でも、かなり細いよね。体重どれくらい?』

「五十三キロくらいだったかな」

 嘘偽りなく答えたと言うのに、音無さんがこちらを睨む。睨むと言うか羨むと言った感じか、今度は『ずるい』と口を開いたのが分かった。

 はたしてどう返すのが正解だったのだろうかと疑問に思ったが、質問された時点で詰みだったのだろう。

 テストの点数を訊くときのような、理不尽さを覚える。

『成宮君って、ヤドリギが欲しかったんだよね?』

「うん。一度も地面に落ちていないヤドリギが欲しいんだよね」

 地面に落ちていないモノだと今初めて言った為か、音無さんが面食らった様子だったが、気を取り直したように携帯を向ける。

『一つ心当たりがあるから、明日学校に行ってみて』

「良いけど、何があるの?」

『前に話した薬学部の子だったら、何とかなるかもしれないんだよ。

 本当はちゃんと紹介してあげたいんだけど……』

「会いにくい?」

 音無さんが頷く。声を無くして以来一人だったようだし、気持ちは分からなくもない。

 だから教えてくれただけでも、十分だと言える。

『連絡だけは取って、明日の正午に今日の待ち合わせ場所って大丈夫?』

「大丈夫だけど、どんな人?」

 いつの間に連絡を取っていたのだろうか。疑問ではあるが、知ったところでどうにかなるわけでもない。

 音無さんからの答えは一枚の写真で返って来た。

 バンドの練習中に取ったのであろう、ドラムを叩いている髪の短い女の人が映っている。

 黒に赤のメッシュが入っているので、探す分には探しやすそうで助かった。

 おそらくまた僕から話しかけないといけない事は助かっていないけれど、ヤドリギを手に入れるためにはどうしようと誰かの許可が必要だろう。

『名前は横尾(よこお)友子(ともこ)って言うんだけど、元々同じバンドのメンバーで顔を合わせにくいから。ごめんなさい』

 頭を下げる音無さんに「気にしないで」と返す。こちらの、さらに言えばアリスの用事なのだから、音無さんが申し訳なく感じる必要は爪の先ほども無い。

 植物園を出てからは、自然と別れる流れになったので「今日はありがとう」と声を掛けた。

 首を振る音無さんに「じゃあね」と手を振って歩き出す。

 家路で届いたメールは『ありがとう。またね』という短いものだった。
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