机上の言の葉
     *



 音無さんから明日遊べないかと誘いのメールが来たとある日の翌日、朝の六時ごろに玄関のチャイムが鳴った。

 音無さんとは昼過ぎに会う約束だし、こんな朝早くからいったい誰だろうと不審に思って、ドアを開けたが誰もいない。悪戯だろうかと辺りを見回したら、白い紙で作られた紙飛行機を見つけたので、拾い上げる。

 何の変哲もない紙飛行に思えたが、「カズト君へ」と書いてあるのが見えたので、開くことにした。

 中にはきれいな文字で次のように書かれていた。

『代価が揃いました。都合が良い時にでも、相応の覚悟と木の鈴を持ってやってきてください。 アリス』

 不思議と疑うことなく、アリスからの手紙に間違いないと確信できた。

 今すぐにでもアリスの所に向かいたかったのだけれど、今日は音無さんとの約束がある。アリスの所に行くのは明日にするとして、もう一度手紙に目を通す。

 何故木の鈴が必要なのだろうかと思い、試しに鳴らしてみたところ、木製の鈴は何故かチリーンと響いた。

 金属に近い音に驚きはしたが、もしかして魔法的な何かだったりするのだろうか。

 相応の覚悟というのはアリスのはったりだろうから置いておくことにして、早くも音無さんに恩返しできる機会がやって来たと言える。

 ふと気が付くと、自分の口角が上がっていた。僕が思っていたよりも、僕は音無さんの為に何か出来る事が嬉しいらしい。

 今日はその音無さんに会える日だから、ちゃんと準備をしていこうと、紙飛行機だったものをテーブルの上に置いて準備をすることにした。



 待ち合わせ場所は学校近くの運動公園で、以前に音無さんとコンビニで買ったから揚げを食べたところになる。

 いつものように早めに家を出て、音無さんを待っていようかと思ったのだけれど、今日は先に音無さんが来ていた。

「音無さん、早いね」

『たまにはカズトを待ってみようと思ってね。いつもわたしの方が後だったから。

 それに、遊べる時間が伸びた方が嬉しいし、話したい事もあるの』

 ベンチに座っていた音無さんが、ポンポンと自分の隣を叩いて、座るように促す。

 少し間を空けて座ったのだけれど、音無さんが距離を詰め肩と肩が触れた。音無さんの距離が近いのはいつもの事だけれど、好きだと意識してからは露骨に鼓動が早くなる。

「今日は何するの?」

『お喋り……かな?』

「だったら、とりあえず場所移さない? 外だと暑いし」

『そうだね』

 何だか音無さんの元気がないように見えたので、何とか元気づけられないかなと考えながら、喫茶店に向かった。



 いつもは注文が大変だからと、後払いの所に行くのだけれど、今日は音無さんの頼みもあって先にお金を払うところに来た。

 音無さんが席を取り、僕が飲み物を買いに行く。

 それからしばらくは、お互い探り探り益体のない話をしていたが、音無さんが一度目を伏せ真面目な顔をした。

『わたしね。声を取り戻すのは諦めようと思うんだ』

「ちょっと待って、どういう事?」

 思わず大きな声が出て、こちらに注意が向く。周りに対して僕が平謝りをしている間に、音無さんの言葉が届いた。

『特に捻った意味も無いよ。ただ、もう駄目なんだって。

 わたしの声はリハビリをしたからって戻るものじゃないんだよ』

「もう、声を出せなくていいの? 歌えなくてもいいの?」

 僕の質問に音無さんの手が止まる。キュッと口を閉じて、唇を噛んでいた。

『うん。もう歌とかどうでも良くなっちゃった』

 流石の僕も、今の音無さんの笑顔が本気じゃないって事は分かる。

 手を尽くしても駄目だったから、開き直っているのだろうか。音無さんの表情が思わしくないので、何とか元気づけたくて思わず声が出る。

「もしも、治せる方法があるとしたら……」

 僕が言葉を言い終わる前に、バンッと音無さんがじれったそうにテーブルを叩いた。

 続いて乱暴に文字を書き始める。辺りは一瞬だけ静まり返ったが、何事も無かったかのように騒めきが返って来た。

『やめて、絶対に無理なの。何をしても、誰を頼っても。

 だから、わたしの声を治そうとしないで』

 乱れた字が音無さんの感情を表している。だが、音無さんは本当に声を治す方法がある事を知らないのだ。アリスの事を言ってしまってもいいかもしれないけれど、感情的になっている音無さんに話しても逆撫でるだけかもしれない。

 何せアリスは腕のいい医者ではなく、魔法使いだなのだから。

『ごめん。今日は帰るね』

 冷静になった音無さんが、これだけ書き残して席を立つ。何とか引き留めたかったのだけれど、理由も方法も思いつかなくて音無さんの背中を見送る事しか出来なかった。



 一人残った僕は、家に帰りタンブラーを取って学校へ向かった。理由は音無さんの声を治してもらうため。

 百聞は一見に如かずではないが、声が出るようになることが何よりの証明になるだろうから。

 僕も冷静さを失っていたらしく、気が付いたら旧校舎の前に来ていた。熱せられた扉を開けて空気が固まったような屋内に入る。

 アリスがいる一番奥の部屋のドアを開けたら、目の前にアリスがいて驚きつつも、挨拶をするために口を開いた。しかし、アリスの伸ばした人差し指がそれを制する。

「思ったより来るのが早かったね」

 笑っているのに、いつものからかうような雰囲気はなく、むしろ背筋が凍るかのようなアリスの声。僕は金縛りにあったかのように動くことが出来ない。

「ここから先、入ったらもう話が終わるまで出られないけど大丈夫?」

 淡々と話すアリスに、頷いて返したら「じゃあ座って」と促される。操られるように席に着いた。

「確認何だけど、カズト君は唄ちゃんの声を取り戻しに来たんだよね?」

「そうですけど……」

 雰囲気に押されて、はっきり肯定することが出来ない。何だか良くない予感がする。

「じゃあ、例の鈴を出して」

 バッグからタンブラーを取り出しアリスに渡す。アリスは、中から鈴を取り出して自分の耳元でチリンチリンと音を確認していた。

「その鈴って結局何なんですか?」

「あとで教えてあげるけど、先に本題」

 本題とは音無さんの声の事だろう。僕が代価を手に入れたから、アリスに呼ばれたのは分かっているけれど、考えてみたら何か特別なものを手に入れた記憶はない。

 強いていうなら、今期の単位くらいだろうか。仮に今期すべての単位を失ったとしても、卒業できなくなるわけでも留年するわけでもない。惜しくない訳ではないけれど、僕の半年と音無さんの一生は天秤にかけるまでも無いだろう。

「この願いの代価を払うか払わないかは、今日カズト君が部屋を出るまでに決める事。払わなかった場合、カズト君のこの願いは以降絶対に叶えてあげない。

 もしも結論を出さずに部屋から出た場合も同じで、もう叶えてあげない。

 この部屋にいる間は、外部と連絡を取る事は禁止」

「それで、代価は何ですか?」

 長い前置きでこちらの恐怖心や不安感を煽ってくるけれど、こちらとて絶対に音無さんの声を治して貰うために来たのだ。衝動的だが、決意くらいしている。

「好きな人との関係」

 だが、決意は簡単に揺らいだ。音無さんとの関係が、代価だと言っているのだから。
< 27 / 31 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop