机上の言の葉
エピローグ 音の無い唄がきこえる
何もない日常に戻って三か月ほどが過ぎた。
あれから横尾さんからの連絡はないので、ちゃんと音無さんの声は戻ったのだろう。
アリスの魔法が理由かはわからないが、音無さんとは偶然授業が同じになる事も、すれ違う事すらなかった。
もちろんアリスの所にも行っていない。机の上の落書きを見つける前の生活に戻ったようだけれど、以前にも増して音楽だけは聴くようになった。
今日は文化祭。唯一音無さんの姿を見られる日になるので、学校は休みだけれど重たい体を動かして家を出る。
季節はすっかり秋になり、半袖の人は見なくなった。木の葉は赤や黄色に染まり、町の雰囲気も幾分か寂しくなったように感じる。
しかし世間の空気はお構いなしに、大学の構内は活気があった。広くはない道の両端には、屋台が並んでいて、同年代の人達が必死に呼び込みを行っている。
コスプレをした人が歩き売りをしていたり、校舎に入れば映画を上映していたり。去年の僕には無縁だったから、お昼ご飯になりそうなものしか見ていなかったのだけれど、どの屋台も工夫を凝らしていて面白い。
通りを抜け広場に出たところで、目的のものを見つけた。文化祭の時にだけ現れる、野外ステージ。今はまだ始まっていないけれど、演目を書いた看板が近くにあった。
バンドの演奏だけではなく、ダンスや漫才まで行うらしい。
午前の部を見終えて、午後の部に差し掛かったところでレアレスの名前があった。音無さんが所属するバンド。名前を見ただけなのに、変に動悸がしてくる。
知りたいことはわかったので、気を紛らわせるためさっき見つけた映研の映画でも見に行くことにした。
上映している校舎の近くに行くと映研の人に捕まり、探す手間なく上映場所に行くことが出来た。少し広めの講義室で、プロジェクターを使って上映するらしい。
ちょうど開始時間だったのか、僕が座ったところで電気が消され映画が始まった。
映画は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。とは言え、まだ時間があるだろうと思い、また別のグループが作った映画まで見たのだが、この映画が思った以上に長かった。
終わって時計を見たら、レアレスが演奏する時間で、急いで広場に向かう。
広場に着いた時には既に演奏が始まっていた。僕は遠目にステージが見える位置で、隠れるように耳を傾ける。
「藍にも似た 世界は 曖昧で 光をチラつかせる
盲目の私は 手を伸ばす 先にあるモノ以外全てを 犠牲にしたとしても」
聞こえてきた音無さんの声は、以前ネットで聴いたものよりも、ずっときれいで透き通っている。髪をバッサリと切ってしまったらしく、首元で切りそろえられていて、眼鏡はかけていない。
「ピカピカと光り輝く過去の栄光も 今は虚しく 私を苦しめている
それはまるで 幻のように 手と手の隙間から 零れていく」
初めて聞く曲だけれど、歌詞には聞き覚えがあった。
何かと思ったら、音無さんが机の上に書いていた詩と同じもの。なるほど、音無さんに声が戻って詩は詞になることが出来たらしい。
「そんな 声も上げられぬ絶望に 染まったとしても 何故私は諦められないのか
この冷たい世界の ほんの小さな場所で 生まれた悲しみは 理解などされないから
私は上げ続ける 無音の悲鳴を」
曲が終わって余韻が消えてから、音無さんは話し出す。
「次が最後の曲になります」
歌っていない時の音無さんの声は、歌っている時よりも幼く感じるけれど、耳触りは良い。
いつかこの声となんてことない会話が出来ると信じていたけれど、出来ないと思うと胸がちくりと痛む。
「タイトルは『一人ぼっち』。それでは聞いてください」
タイトルを聞いて痛んだ胸が止まるかと思った。でも、偶々こういうタイトルになっただけだと、心を落ち着かせる。
バラードのような前奏が流れ、音無さんが歌い出した。
「歌を唄う事で 愛や恋なんて 分かっていると思ってた
恋愛の歌が 数えきれないくらい 世に溢れているから
君と過ごす日々が 楽で心地よくて
友達でいる事が 少しずつ嫌になった
ああ これが 恋なんだ 初めて 気が付いたんだ
高鳴り震える胸が 苦しく切ない
だけど君と会える事が 幸せで楽しくて
満たされた 日々に思う 歌以上だなって
呑気に構えてたんだって 今になって知ったよ
私 何て馬鹿だったんだろう」
止まりかけた心臓が、暴れている。何故『一人ぼっち』なんてタイトルの恋愛ソングを愛おしそうに歌うのか。
間奏中、音無さんは誰かを探すように、観客を見回していた。
「失恋ソングなんて 数えられないほど 歌ってきたはずなのに
君がいなくなって 聴いた曲が 悲しいのはなぜだろう
歌おうとしてもさ 声が出てこないんだよ 歌える事は本当にうれしいのに
苦しさは別のもの 耐えられそうもなくて 君がくれた歌なのになあ
だけど君も 勝手だよね 歌より大事なものが いなくなってしまったら 駄目だよ ああ
言わなかった私も 悪いと思うけど 一言くらいくれたって良いでしょ?
最初本当はね 君に興味なかった 君もまた他の人と同じと思ってた
だけど私は すぐに気づいたんだ 新しい光はきっと君だったんだ」
鼻の奥の方が痛くなってきて、涙が零れそうになるのを必死に抑える。自分がいたたまれなくて、すぐにこの場から離れたいのに縫い付けられたように動くことが出来なかった。
「本当はね ずっとずっと 君に気が付いていたんだ この歌を聴いていることに どこかで
聞いててね あの時は 言えなかった 私の言葉
私の気持ちも知らないで いなくなるな バカ
歌よりも 声よりも 君と居たかっただけだって 真剣に 考えたの どうしてくれるの ねえ
今やっと言えるよ 聞いていて 私ずっと君が好きだよ」
ただの告白のような歌が終わり、僕は逃げるようにその場を後にした。
歌詞に「君の事に気が付いていたんだ」とあったけれど、今日僕がいる事を知っていたとか出来た話ではないだろう。音無さんは僕が来ることを知らないはずなのだから。
人の居ない方へと歩いていたら、校舎裏の駐輪場まで来ていて、コンクリートの四角く出っ張った所に、両手で体を支えるようにして腰を下ろした。最後まで泣く事は我慢できたけれど、何だかとても疲れてしまった。
駐輪場に人はおらず、気持ちを落ち着けるためにボーっと校舎を眺める。壁のシミが顔に見えるな、と益体のない事を考えていたら、両手を温かいものが覆った。
続いて背中に力がかかり、こちらもぽかぽかと温かく、何処か柔らかい。
何だろうかと態勢を変えようとしたのだけれど、先に「こっちを見ないで」と聞き覚えのある声が制止したのでピタリと動きを止めた。なんで此処にいるのとか、どうして僕の後ろに座るのとか考えるべきことは沢山あったけれど、疲れていたのもあって、両手と背中の気持ちよさに任せる事にした。
「知ってる? 出会うって、顔を合わせたり、相手を認識して名前を読んだりすることを言うんだって」
「そうなんですか」
つまり顔を合わせるな、名前を呼ぶなと言う事だろう。他人のふりをする意味も込めて、敬語を使って話す。
「ところで、君はレアレスの演奏聴いてくれた? わたしボーカルだったんだけど」
「告白みたいな曲を演奏していた所ですよね。聴いてましたよ」
「だったらよかった。でもね、あれは告白みたいなじゃなくて、告白なんだよ」
「返事は来ましたか?」
「ううん。ちゃんと聴いてはいてくれたみたいなんだけどね」
「酷い人ですね」
「優しい人だよ。折角だから、長くなるかもしれないけど、わたしの話をしていいかな」
「良いですよ。今日はもう帰るだけのつもりでしたから」
「それじゃあ、聞いててね」
声の主は前置きをしてから、ゆっくりと話し始めた。
あれから横尾さんからの連絡はないので、ちゃんと音無さんの声は戻ったのだろう。
アリスの魔法が理由かはわからないが、音無さんとは偶然授業が同じになる事も、すれ違う事すらなかった。
もちろんアリスの所にも行っていない。机の上の落書きを見つける前の生活に戻ったようだけれど、以前にも増して音楽だけは聴くようになった。
今日は文化祭。唯一音無さんの姿を見られる日になるので、学校は休みだけれど重たい体を動かして家を出る。
季節はすっかり秋になり、半袖の人は見なくなった。木の葉は赤や黄色に染まり、町の雰囲気も幾分か寂しくなったように感じる。
しかし世間の空気はお構いなしに、大学の構内は活気があった。広くはない道の両端には、屋台が並んでいて、同年代の人達が必死に呼び込みを行っている。
コスプレをした人が歩き売りをしていたり、校舎に入れば映画を上映していたり。去年の僕には無縁だったから、お昼ご飯になりそうなものしか見ていなかったのだけれど、どの屋台も工夫を凝らしていて面白い。
通りを抜け広場に出たところで、目的のものを見つけた。文化祭の時にだけ現れる、野外ステージ。今はまだ始まっていないけれど、演目を書いた看板が近くにあった。
バンドの演奏だけではなく、ダンスや漫才まで行うらしい。
午前の部を見終えて、午後の部に差し掛かったところでレアレスの名前があった。音無さんが所属するバンド。名前を見ただけなのに、変に動悸がしてくる。
知りたいことはわかったので、気を紛らわせるためさっき見つけた映研の映画でも見に行くことにした。
上映している校舎の近くに行くと映研の人に捕まり、探す手間なく上映場所に行くことが出来た。少し広めの講義室で、プロジェクターを使って上映するらしい。
ちょうど開始時間だったのか、僕が座ったところで電気が消され映画が始まった。
映画は全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。とは言え、まだ時間があるだろうと思い、また別のグループが作った映画まで見たのだが、この映画が思った以上に長かった。
終わって時計を見たら、レアレスが演奏する時間で、急いで広場に向かう。
広場に着いた時には既に演奏が始まっていた。僕は遠目にステージが見える位置で、隠れるように耳を傾ける。
「藍にも似た 世界は 曖昧で 光をチラつかせる
盲目の私は 手を伸ばす 先にあるモノ以外全てを 犠牲にしたとしても」
聞こえてきた音無さんの声は、以前ネットで聴いたものよりも、ずっときれいで透き通っている。髪をバッサリと切ってしまったらしく、首元で切りそろえられていて、眼鏡はかけていない。
「ピカピカと光り輝く過去の栄光も 今は虚しく 私を苦しめている
それはまるで 幻のように 手と手の隙間から 零れていく」
初めて聞く曲だけれど、歌詞には聞き覚えがあった。
何かと思ったら、音無さんが机の上に書いていた詩と同じもの。なるほど、音無さんに声が戻って詩は詞になることが出来たらしい。
「そんな 声も上げられぬ絶望に 染まったとしても 何故私は諦められないのか
この冷たい世界の ほんの小さな場所で 生まれた悲しみは 理解などされないから
私は上げ続ける 無音の悲鳴を」
曲が終わって余韻が消えてから、音無さんは話し出す。
「次が最後の曲になります」
歌っていない時の音無さんの声は、歌っている時よりも幼く感じるけれど、耳触りは良い。
いつかこの声となんてことない会話が出来ると信じていたけれど、出来ないと思うと胸がちくりと痛む。
「タイトルは『一人ぼっち』。それでは聞いてください」
タイトルを聞いて痛んだ胸が止まるかと思った。でも、偶々こういうタイトルになっただけだと、心を落ち着かせる。
バラードのような前奏が流れ、音無さんが歌い出した。
「歌を唄う事で 愛や恋なんて 分かっていると思ってた
恋愛の歌が 数えきれないくらい 世に溢れているから
君と過ごす日々が 楽で心地よくて
友達でいる事が 少しずつ嫌になった
ああ これが 恋なんだ 初めて 気が付いたんだ
高鳴り震える胸が 苦しく切ない
だけど君と会える事が 幸せで楽しくて
満たされた 日々に思う 歌以上だなって
呑気に構えてたんだって 今になって知ったよ
私 何て馬鹿だったんだろう」
止まりかけた心臓が、暴れている。何故『一人ぼっち』なんてタイトルの恋愛ソングを愛おしそうに歌うのか。
間奏中、音無さんは誰かを探すように、観客を見回していた。
「失恋ソングなんて 数えられないほど 歌ってきたはずなのに
君がいなくなって 聴いた曲が 悲しいのはなぜだろう
歌おうとしてもさ 声が出てこないんだよ 歌える事は本当にうれしいのに
苦しさは別のもの 耐えられそうもなくて 君がくれた歌なのになあ
だけど君も 勝手だよね 歌より大事なものが いなくなってしまったら 駄目だよ ああ
言わなかった私も 悪いと思うけど 一言くらいくれたって良いでしょ?
最初本当はね 君に興味なかった 君もまた他の人と同じと思ってた
だけど私は すぐに気づいたんだ 新しい光はきっと君だったんだ」
鼻の奥の方が痛くなってきて、涙が零れそうになるのを必死に抑える。自分がいたたまれなくて、すぐにこの場から離れたいのに縫い付けられたように動くことが出来なかった。
「本当はね ずっとずっと 君に気が付いていたんだ この歌を聴いていることに どこかで
聞いててね あの時は 言えなかった 私の言葉
私の気持ちも知らないで いなくなるな バカ
歌よりも 声よりも 君と居たかっただけだって 真剣に 考えたの どうしてくれるの ねえ
今やっと言えるよ 聞いていて 私ずっと君が好きだよ」
ただの告白のような歌が終わり、僕は逃げるようにその場を後にした。
歌詞に「君の事に気が付いていたんだ」とあったけれど、今日僕がいる事を知っていたとか出来た話ではないだろう。音無さんは僕が来ることを知らないはずなのだから。
人の居ない方へと歩いていたら、校舎裏の駐輪場まで来ていて、コンクリートの四角く出っ張った所に、両手で体を支えるようにして腰を下ろした。最後まで泣く事は我慢できたけれど、何だかとても疲れてしまった。
駐輪場に人はおらず、気持ちを落ち着けるためにボーっと校舎を眺める。壁のシミが顔に見えるな、と益体のない事を考えていたら、両手を温かいものが覆った。
続いて背中に力がかかり、こちらもぽかぽかと温かく、何処か柔らかい。
何だろうかと態勢を変えようとしたのだけれど、先に「こっちを見ないで」と聞き覚えのある声が制止したのでピタリと動きを止めた。なんで此処にいるのとか、どうして僕の後ろに座るのとか考えるべきことは沢山あったけれど、疲れていたのもあって、両手と背中の気持ちよさに任せる事にした。
「知ってる? 出会うって、顔を合わせたり、相手を認識して名前を読んだりすることを言うんだって」
「そうなんですか」
つまり顔を合わせるな、名前を呼ぶなと言う事だろう。他人のふりをする意味も込めて、敬語を使って話す。
「ところで、君はレアレスの演奏聴いてくれた? わたしボーカルだったんだけど」
「告白みたいな曲を演奏していた所ですよね。聴いてましたよ」
「だったらよかった。でもね、あれは告白みたいなじゃなくて、告白なんだよ」
「返事は来ましたか?」
「ううん。ちゃんと聴いてはいてくれたみたいなんだけどね」
「酷い人ですね」
「優しい人だよ。折角だから、長くなるかもしれないけど、わたしの話をしていいかな」
「良いですよ。今日はもう帰るだけのつもりでしたから」
「それじゃあ、聞いててね」
声の主は前置きをしてから、ゆっくりと話し始めた。