家族じゃなくなった日。
「…は、はじめまして、山本……です。」
私は深々お辞儀をして、下の名前は言わず、苗字だけ自己紹介として教えることにした。
兄でも母の旧姓くらい覚えていると思うし、下の名前まで教えると私が私だってバレてしまう。
深々とお辞儀したせいでズレたメガネをもう一度掛け直した。
「〝山本さん〟…ね…。僕は天野春。これからよろしくね、山本さん。」
握手を求めるように手を差し出してきた。
その手を私は握り返す。
その手は大きくて、まだ昔手を一緒に繋いで歩いていた頃とは違い、優しくて大きくて、男の人の手だった。
昔引っ張りあって、叩き合って、喧嘩しあって、髪の毛引っ張ったり、顔つねられたり。
頭撫でてくれたり、毛布かけてくれたり、転んだ時差し出してくれたり、何も言わず背中押してくれたり。
ーーあの日、家族じゃなくなった日から触れられなかった兄の手。
10秒が過ぎる長い握手だった。
そして目が合う。
私はそらしてうつむく。お辞儀をするように。
「ーーちょっと、そんなに見つめたら山本さん動けないじゃないですか、天野さん。」
そこに藤田さんが止めに入ってくれた。
「…あっ、翔太郎!いや、見つめてた訳じゃないんだ!何処かであった気がして…。」
兄は消極的な人だった。
「そんな安っぽいナンパ男みたいな事言わないで下さいよ。」
私の前以外では。
「な、ナンパなんてしてないよっ。ちょっと、気になっただけだ‼︎」
大きな声で言い合ったりなんてしてなかった。
「どうだか…。」
「ーおいっ!」
手をヒラヒラさせて藤田さんは部屋から出て行く。
その後を追っかけるようにして天野さんも出て行く。
一瞬忘れていたようにこちらを振り返り、一礼して去っていった。
「あの2人、中学から学校ずっと同じだったらしいわよ!だから、本当に仲が良いのよねぇ〜。」
「…そうなんですかっ!」
「しかも、スタイル良くてあの容姿だから学校でもモテモテだったんでしょうねぇ〜…。」
「………そうですね。」
私の知ってる兄はもういない。