専務に仕事をさせるには
私が微笑んで見せると中居さんはホッとするのと同時に申し訳なさそうに詫てくれた。
「そうですよね? すいません… こんな山奥に若い女性がひとりでお見えになる事なんて無いものですから」
「こちらこそ急な予約ですいません。 予約サイトに満天の星空の下で入る露天風呂は素敵だって書き込みがあったものですから、一度入ってみたくて」
私は用意していた心付けを渡すと中居さんは一度は遠慮したものの有難うございますとそれを懐へしまった。
「本館は団体のお客様がおみえですけどこちらの離れはお客様と老夫婦の2組だけですので静かだと思いますよ? ホームページでご案内してる露天風呂も離れのお客様専用となってますし、今日はお天気も良いですから月明かりで入る露天風呂も素敵ですよ? ごゆっくりなさってくださいね?」
「ありがとうございます」
中居さんは後ほど夕食の準備に伺いますと言って部屋を出て行った。
シーンと静まり返った部屋に風に揺れる笹の音だけがサワサワサワと聞えてくる。
今朝、早く何も言わずにキャリーバッグを持って出掛ける私に母は『帰って来たら就活しなさいよ?』と笑って送り出してくれた。
何も話していなかったけどお母さんにはなんでもお見通しみたい。
『うん。お土産買って来るね?』と私も笑顔を返し家を出て来た。
そして駅に向う途中ポストに鶴見室長宛に退職届を投函して来たから今頃鶴見室長の手元に届く頃だろう。
そして何も知らない専務は鶴見室長から話を聞いて私の携帯へ連絡をよこすだろう…
だから私は携帯の電源を切っていた。
ごめんなさい…
でも私の仕事は終ったから…
このまま専務の秘書を続ける自信がないんです。
他の部署へ移動願いを出しても同じ会社に居れば専務と顔を合わせる事も有るだろうし…
だから新しい道を歩く為に少し休憩してそれからまたひとりで歩き出すことにした。
私は何をするでも無くただ竹林を眺め一日を過ごし、美味しいものを食べ満天の星空の下で露天風呂に入り疲れを癒やしていた。