憚りながら天使Lovers
初めてのキス

 傷を負った千尋を橘邸まで運ぶと、玲奈も含めて天使の回復部隊が傷の治療をほどこす。エレーナも力尽きたようで、恵留奈の姿で倒れ寝ている。
 傷の治療が済むと天使はルタを残し全て去って行く。他の天使たちはルタとは違い無口で、治療に際して一言も喋ることなく、黙々と作業をしていた。その様子からしてルタが普段からどれだけ天真爛漫かを知る。そんなルタも今回ばかりは疲弊しているのか、千尋を部屋まで運ぶと挨拶もそこそこに去って行った。
 夜も更けていることもあり、橘邸に泊まるよう女中に促され客間まで通される。備え付けのバスでシャワーを浴び、用意されたバスローブに袖を通す。恵留奈と並ぶ形でベッドに横になると、今日の戦いを振り返る。
(エレーナ、ルタ、千尋ちゃん、誰か一人が欠けても危ない勝利だった。心流でのサポートという点では役に立てたかもしれないけど、もし私が千尋ちゃんくらい強ければもっと楽に勝ち得た戦いだった。悔しい! 早く強くなりたい!)
 悪魔一人倒せない自分を省み自己嫌悪になりながら布団を被った――――


――翌朝、洗濯された綺麗な私服に着替えると、千尋の部屋に向かう。既に起きているようで、いつもの和服姿で紅茶を飲んでいる。
「おはようございます、玲奈さん」
「おはようございます、千尋……、ちゃん」
 逞しい胸板が脳裏をかすめ、呼び名につまづく。
「昨日は私を助けに来て頂き感謝致します。玲奈さんとエレーナさんに来て頂けなければ、今頃私はここに居なかったでしょう」
「そんなの私も同じ。ベルフェゴールに殺される寸前に助けてくれたのは千尋ちゃんだもの」
「そうですね。では、お互い様ということで」
「はい」
 千尋に注がれる紅茶を見ながらも、玲奈の頭の中は胸板のことでいっぱいだ。
「恵留奈さん、まだお目覚めにならないのかしら?」
「さっきも心流をかなり送っといたけど、流石に昨日は戦い過ぎたと思う。昼過ぎまで目覚めないんじゃないかな?」
「そう、ですよね……」
 心配そうにする千尋を見て、玲奈の意地悪な虫がうずく。
「千尋ちゃん、恵留奈のこと心配?」
「えっ、ええ、もちろんです。命の恩人ですし」
「命の恩人はエレーナでしょ? 恵留奈にはお礼は言えないよ?」
「それはそうですが、エレーナさんは恵留奈さんでもあるわけですし……」
(これは、恵留奈だけじゃなくエレーナにも惚れてる感じか? 可愛い~)
 頬を赤らめる千尋を見ると更に意地悪したくなる。
「千尋ちゃん、恵留奈に一目惚れしたでしょ?」
 千尋は自分の気持ちをあっさり言い当てられ、ビクッとする。
「あの、バレてました?」
「恵留奈は気付いてないけど、私から見たらバレバレ」
「恥ずかしい……」
「まあ仕方ないよね。歩くフェロモン製造機みたいなヤツだし」
 千尋は照れて何も言えない。
「ぶっちゃけ、明君より良いと思ってるでしょ?」
 微妙な質問ながらも、否定しないところを見ると答えは出ている。
(今思ったけど、オスカルな恵留奈と美人だけど男の子の千尋ってベストカップルなのでは? 思い切って聞いてみよう! やってみよう!)
「千尋ちゃん、どうしても聞きたいことがあるんだけどいい?」
「はい、どうぞ」
「千尋ちゃん、もしかして男の子?」
 ストレートな質問を受け、少し間をおいてから千尋は答える。
「はい。昨日の戦いの後で見られたんじゃないかなとは思っていました」
(やっぱり! だから明君はあんな顔したんだ)
「でも恋愛対象は男性なんでしょ?」
「はい、昨日まではそうだったんですけど……」
「恵留奈に恋しちゃった、と。よかったじゃん。恵留奈は彼氏欲しがっていて、千尋ちゃんは綺麗な男の子。恵留奈はきっと千尋ちゃん受け入れてくれるよ」
「ほ、本当ですか?」
「うん、保証する。もしダメだったら武士らしく腹切ってあげる」
「そこまでは求めませんよ。えっ、でも本当に付き合ってくれるんでしょうか? 私、容姿も精神的にも女性っぽいので……」
「安心して、恵留奈は精神的にオッサンだから」
 そこからは恵留奈がいかにオッサン化しているのかを、実体験を交え力説する。しばらくは笑っていた千尋だが、ふとした瞬間に表情が硬くなる。
「好きな食べ物がスルメにチーカマってどんな女子大生だよって感じでしょ? しかもお酒全然飲めないのによ? オッサンの中でも既に健康を配慮している中年後半のオッサンかって話よ」
「で、そのオッサンってアタシのことかい?」
「そうそう、恵留奈の……」
(しまったー!)
「っていうのは冗談で……って手遅れ?」
「手遅れ」
 力まかせにヘッドロックし、ギブアップして腕を叩く玲奈を無視して締め上げる。しばらく唖然として見ていた千尋だが見兼ねて助け舟を出す。
「恵留奈さん」
「ん、何?」
「あの、体調は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。っていうかさ、また記憶飛んでんだよね。夕方くらいまでここで楽しくお茶してたのは覚えてんだけど。アタシ迷惑かけた?」
 口ごもる千尋を見て玲奈が代わりに答える。
「シフォンケーキだよ」
「ケーキ?」
「お茶のとき食べてたシフォンケーキにブランデーが結構入ってて、それに酔って恵留奈は潰れたの。ホントにお酒に弱いんだから」
 平気な顔で嘘をつく玲奈に千尋は内心ドキドキしている。
「そうなんだ。通りで記憶ないわけだ。ごめんね千尋、迷惑掛けて一晩も泊めて貰って」
「いいえ、恵留奈さんは大切なお客様です。おもてなしするのは当然のことです」
「相変わらず丁寧で綺麗でカッコイイな。年下だけど憧れるわ~」
 ストレートな憧憬に千尋の顔は一気に赤くなる。
(恵留奈、罪作りな女だよ。悪意が無いだけに余計タチが悪い。これじゃ千尋ちゃん告白できないわ)
 予想通り、千尋は告白出来ず普通にガールトークを交わすだけで過ごす。三人それぞれのアドレス交換を済ませた後の千尋の笑顔は、見ていて清々しいくらいに可愛い。
(それにしても本当に千尋ちゃんって女性にしか見えない。恵留奈はズカオーラ出てるだけだから女性って分かるんだけど。もし二人が並んでデートなんかしたらどうなるんだろ。想像できないわ。仮に付き合うことになったら、私の居場所なくなるかもな~)
 妄想もそこそこに近日中また三人で会う約束を交わした後、夕方過ぎには帰宅した。ベッドに座るとメールの着信が二件入っているの気がつきディスプレイを確認する。一つはさっき交換したばかりの千尋。もう一つは明からだ。
 千尋からは、昨日のお礼と今後も恵留奈のことで相談に乗って欲しいとの内容。そして、光集束の訓練も喜んで引き受けるとのこと。
「すったもんだあったけど、落ち着くところに落ち着いた感じね」
 泊めてもらったお礼や諸々のメール内容で返信を済ますと、明からのメールを開く。内容はまた短文で『電話欲しい』とのこと。仕方なくコールすると明はすぐに出る。
「もしもし、八神ですけど」
「もしもし、わざわざ電話ありがとう」
「何か用ですか?」
(我ながらちょっと冷たい対応かな)
「あの、今から会わない?」
(こっちの都合を考えず唐突ね……)
「疲れてるので止めときます」
「分かった。じゃあ明日学校で待ってる」
(なんだろこれ? 自分自身でもよく分からないけど凄い気持ち冷めてる)
 無言のままでいると、おやすみの挨拶を言われ電話は終了する。
(私、どうしちゃったんだろ? 明君のこと嫌いじゃないのに、気持ちが揺れ動かない。よく分からないや……)
言いようのない感情にモヤモヤしつつベッドに横になるとそのまま眠りにつく――――



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