憚りながら天使Lovers
笑顔でさよなら
目を覚ますと、隣で寝ていたはずのルタはおらず拍子ぬけする。寝ている間に何かされているのではと勘繰るも、特に変わった様子はない。
(それにしても昨日はヤバかった。雰囲気に流されて、そのまま最後まで行ってもおかしくなかった……)
自然と昨夜のキスを思い出し、顔が赤くなる。
(なんでキスしたかなぁ~、おかしい、おかしいぞ、私! しかも何気に初キスだったし!)
寝起きでありながらテンション高めの自己嫌悪に陥っていた――――
――昼、うどんを見つめたまま、ボッーとしている玲奈を見て恵留奈は呆れている。
「おい、玲奈! おい!」
「ん? あっ、ごめん、なに?」
「アンタ今朝からすっごい変なんだけど、どした?」
(昨夜のこと、というより天使絡みのことは恵留奈には言えないんだよね)
「ちょっといろいろと考えること多くてね」
「何よ? 水臭いな、相談乗るよ?」
(相談出来ないことも悩みの一つなんだけどな、仕方ない適当な話題で反らすか)
「最近、明君と距離取ってるんだ」
「どして?」
「分からない」
思ってもみない返答に、恵留奈は口に含んだ烏龍茶を噴き出す。
「分からないって、自分のことでしょ?」
「自分自身のことだからこそ、よく分からないってことなのかもね」
「アタシはアンタの言ってる意味が分からんよ」
「だよね、そこは自覚してる」
箸でうどんを挟んだまま溜め息をつく玲奈を見て相当重症だと判断すると、恵留奈は携帯電話を取り出し素早くメールを送る――――
――三十分後、赤門の前にリムジンが止まり、完璧に着飾った和服の千尋が降り立つ。恵留奈からの呼び出しだと、地球の裏側までも行きかねくらいお熱になっていた。学生達の注目を集める中、堂々と目的のテラスまで歩みを進める。
「お待たせ致しました、恵留奈さん」
「おう、こっちこっち」
千尋は緊張を隠しながら恵留奈の隣に座る。しかし、玲奈は千尋が目の前に来たことに未だ気付かない。
「メールの通り、重症ですね」
「だろ? 理由分かる?」
「いえ、心当りはありません」
「男関係かなとは考えてんだけど、明君は無関係みたいなんだよね~」
千尋にはいろいろ心当たりがあるものの、そのほとんどが天使関連なので恵留奈の前では口に出せない。
「あの、宜しければ私がお聞きしてみましょうか? もしかしたら、恵留奈さんには話づらいお悩みかもございませんし」
「親友のアタシにも話せないことを、千尋には話せるってか?」
不機嫌そうな恵留奈に千尋は焦る。
「いえ、そのような意味ではなく。親友だからこそ話せないことがあるのではないかと? 例えば、玲奈さんが恵留奈さんに恋をしたとかなら、本人には相談できませんでしょ?」
「それはない。玲奈に百合属性ないから」
「はい、それは承知しております。先のはあくまで例えでございます。私のような小娘では及びも着かない悩みかもございませんが、ダメモトという言葉もございます。ここは一つ、私めにお任せ頂けませんか?」
丁寧に進言され恵留奈は仕方なく席を立つ。
「玲奈さん」
肩を叩くと流石に気がつく。
「あっ、千尋ちゃん。あれ? 恵留奈は?」
千尋は呼び出された経緯を丁寧に説明する。
「ごめんなさい、私のせいで呼び出されたんだね」
「いえ、私も恵留奈さんと会えてキュンキュン出来てるので有り難いです」
恋する乙女を見て玲奈は笑顔になる。
「それで、本当のところ何に悩んでらっしゃるの?」
「ごめん、本当によく分からないの。心が落ち着かないというか、フラフラするというか……」
この言葉だけで千尋はピンとくる。
「分かりましたよ、理由」
「えっ? なに?」
「経験値過剰による心的容量オーバーです」
「容量オーバー?」
「はい。玲奈さんはここ最近、何度も生死の狭間を体験し、天使や悪魔と出会い、討魔の技法を学ぶ、このような様々な非現実的な経験をして参りました。頭の中で整理し納めるだけの容量を遥かに超えてしまっているのです。それに加え、人間としての日常的な悩みがプラスされていると、完全にパンクなさるでしょうね」
(すっごい的確な意見。多分これだわ。そしてルタとの初キスと初エッチ未遂がトドメか……)
「ありがとう、千尋ちゃん。理由が判明してスッキリした」
「いえ、私も昔経験したことなので、すぐピンと来ましたよ。今自分が生きていることの奇跡、死に直面したときの恐怖心、振り返ると現実が軽くて薄っぺらく感じてしまうんですよね」
(千尋ちゃん、凄い。私が分からない悩みや感覚を完全に理解してる!)
「時間が解決してくれる部分もありますが、趣味に没頭するのも解消法としてはオススメです。もちろん恋もいいと思います」
(恋、か……)
頭に真っ先に浮かぶのは明ではなくルタ。
(有り得ない有り得ない! 私がルタと恋人同士とか。だいたい人間と天使の恋なんて……)
玲奈は気になって聞いてみる。
「あの、人間と天使が恋に落ちることってあるの?」
玲奈の質問に千尋は顔を真っ赤にする。
(ん? あっ、そっか)
「ごめん、恵留奈と千尋ちゃんのことじゃなくて、他の一般的な話というか、千尋ちゃんが見聞きした話の中でってこと」
「そういうことですか。よくある話ですよ。人間も天使も愛するという行為に国境はありませんから」
(よくあるんだ。意外……)
「もし、子供ができちゃったらどうなるの?」
「人間の子供が生まれますよ。私みたいなデビルバスターの才能を持って」
「えっ?」
「私の母は天使です。戦いの中に散ったと父から聞いております。おそらく玲奈さんの御両親又は御祖父母の誰かは天使だと思われます」
(ダメだ。またお悩み要素が増えてしまった……)
黙っている姿に千尋は鋭い質問をする。
「もしかして、玲奈さんも天使に恋してます?」
(えっ?)
「いやいやいや、有り得ないから! 私がルタと恋するとか絶対ないから!」
「私、ルタ君とは言ってませんけど」
(あっ!)
「ルタ君が好きなんですか?」
「いやいやいや、だから無いから! アイツはただの友達!」
千尋は溜め息をついてから口を開く。
「玲奈さんがルタ君をどう想っているかは存じませんが、いずれにせよ寂しくなりますね」
「どういう意味?」
「えっ、聞いてないんですか? ルタ君、今日中に天界へ帰るらしいですよ。今朝、挨拶に来ましたから」
(はぁ?)
千尋の発言を聞いた瞬間、玲奈は顔色を変える。
「聞いて、ない……」
「おかしいですね? 私ならいざ知らず、友達の玲奈さんに挨拶も無いなんて」
「なんで帰るの?」
「階級を上げるための修業です。今回の戦いで己の非力に絶望したと言っていました。大切な人も守れないで天使なんて語れない、と」
(ルタ、あのバカ……)
「大切な人とはきっと……」
玲奈の表情から、千尋も二人の想いに気がつく。
「何年くらい帰ってこないかな?」
「分かりません。こればっかりはルタ君の才能や努力に拠るところが大きいので。ただ、どんなに早くても一年以内に戻って来ることはないと思われます。天使の階級を上げるのは並大抵のことではないので」
「もう行っちゃったかな?」
「調べましょうか?」
「そんなこと出来るの?」
「伊達にデビルバスターしておりませんよ。少なからず天使とのネットワークは持ち合わせております」
そういうとスマホを取り出し誰かと通話を始める。しばらくすると笑顔で通話を切る。
「まだ居ますよ。場所も教えて差し上げましょうか?」
(場所、仮に行ったとして私は何を言うの……)
黙って悩んでいる玲奈を察し、千尋は背中を押す。
「玲奈さん」
「はい」
「赤門にリムジンを待たせております。乗れば連れて行ってくよう指示してます。考えることは車内でも出来ますよ」
この台詞を受けて玲奈は勢いよく席を立つ。
「ありがとう、千尋ちゃん……」
「いえいえ、そんなことより早く」
玲奈はバッグを掴むと、一目散にリムジンへ走って行く。千尋の言うように赤門の前には白いリムジンが止まっており、玲奈の姿を確認すると後部座席が開く。リムジンが連れて行った場所は予想通りいつもの神社だった。
急な石階段を全力で駆け上がると、社の前に来る。
「ルタ!」
息切れたまま玲奈はルタの名前を呼ぶ。肩で息をしていると境内の中からルタが現れる。
(よかった、まだ居た)
「玲奈? なんでここに?」
「なんでかって? そんなことの前に私に言うこと、あるんじゃないの?」
呼吸を調えながら文句を言う玲奈だが、ルタは言いづらそうな顔をして黙っている。
「さっき千尋ちゃんから聞いたわ、天界に帰るって。なんで昨日言わなかったの?」
玲奈の問い掛けにルタは視線をそらしたまま何も言わない。流石にイラッときたのか玲奈は間近まで詰め寄る。
「黙ってないで何とか言いなさいよ!」
怒る玲奈を見てやっとルタは沈黙を破る。
「ダメなんだ……」
「なにが?」
「玲奈の顔を見たらきっと、お別れを言えなくなる……」
(ルタ……)
「玲奈の声を聞いたら、きっと涙が溢れて止まらなくなる。だから、黙って行きたかった……」
ルタの瞳は既に涙で溢れている。その涙を見て玲奈の目にも涙が浮かぶ。
「バカね、ルタ。そんなの、一緒に泣けば済むことじゃない。一緒に泣いて、それから笑顔でさよなら言えばいいじゃない……」
玲奈は涙を流しながらルタを抱きしめる。ルタも玲奈の背中に腕を回す。
「昨日も言ったけど、ルタには本当に感謝してる。今こうやって明るくなれたのも、友達がたくさんできたのも、家族と仲良くなれたのも、全て貴方のお陰。貴方と出会わなければ、私はこんな幸せな気持ちにはなれなかった。私にとって貴方は本当に天使だった……」
ルタは何も言えず玲奈の肩で涙を流す。抱きしめていた身体を少し離すと、ルタの顔を両手で添え、玲奈自ら唇を重ねる。
「今度、帰ってきたら、このキスの続きさせてあげる。だから早く帰ってきて」
「玲奈……、分かった。早く帰って来るよ」
「約束だからね? 約束破ったらタダじゃおかないから」
涙を拭きながら玲奈は笑顔を見せる。その笑顔を見てルタも頬が緩む。
「あのさ、玲奈。一つお願いがあるんだけどいいかな?」
懐かしい台詞に玲奈は笑顔になる。
「なに?」
「僕が帰ってくるまで処女でいてね」
「言うと思った、このエロ天使。あんまり待たせ過ぎたら知らないからね? 一応、青春真っ盛りの女子大生なんだから」
「ありがとう」
玲奈は笑顔で頷き、ルタは真面目な顔で玲奈を見つめる。視線が重なると、もう一度長い口づけを交わす。離れると流石に玲奈も照れて赤くなる。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「うん」
「行く前に玲奈と会えてよかった」
「私もルタに会えてよかった」
「最後にベロチューできたし」
「ベロチュー言うなエロ天使。こっちが照れるわ」
「ははっ、じゃあまたね、玲奈。愛してるよ」
そういうとルタは真っ直ぐ天高く飛んで行く。玲奈は豆粒くらいになって消えるまで見上げる。
「最後に愛してるとか言うなよ。私だって愛してるっつーの……」
まんざらでもない笑みを浮かべて、玲奈は神社を後にする。夏の終わりに貰った温かい気持ちに、玲奈の心は癒され晴々としていた。