憚りながら天使Lovers
楠原明

「えい!」
突然両手を突き出して掛け声を放つ玲奈に、楠原のみならずサキュバスの方もビクッとなる。
「や、八神さん?」
「いや、手の平から剣出ないかな~って思って」
 漫画の吹き出しが現実にあるのなら、楠原とサキュバスの頭の上には確実にハテナマークが着いている。
「う、うん。え~っと、八神さんは背後に避難した方がいいね。後は僕に任せて」
 楠原はサキュバスの方に歩みを進めると、手に握り込んでいた数珠に力を込める。
(右手が光ってる?)
 サキュバスもそれを悟ったのか楠原との距離をとる。
「この程度で逃げるなんてザコだな」
 楠原の言葉にキレたのか、サキュバスは無防備にも正面から飛び掛かる。しかし、楠原に触れる前に黒い炎が花火のように飛び散り、跡形もなくサキュバスは消える。
(えっ? 今何したの)
 楠原は部屋の中央に来ると、恵留奈を起こして背中から喝を入れている。
「恵留奈!」
 玲奈も急いで駆け寄り付き添う。喝が入り意識が戻ったのか、ボーッと玲奈を見つめている。
「大丈夫? 恵留奈」
「ありゃ? 私どうしたんだっけ?」
 記憶がないのか周りをキョロキョロしている。
「一時的な記憶障害だ。悪い気に当てられたんだと思うが、多分もう大丈夫」
 冷静に言い切る楠原に頼もしさを感じる。
「恵留奈、とりあえずここから出よう」
 曖昧な返事をする恵留奈を二人で担いで廃屋を後にする。停めていた車の場所まで行くと、佐藤が奮えながら一人でたたずんでいる。よく見ると車が一台ない。楠原の姿を確認すると駆け寄ってくる。
「明! 大丈夫だったのか」
「当たり前だろ。こんなときの為に同伴してんだからな」
「頼りになるわ」
(楠原明って言うのかこの人……)
 明と佐藤の会話を聞きながら冷静に名前をインプットする。
「他の奴らは帰ったか?」
「ああ、急いで帰った」
「賢明だ。一人当てられたから念のためオヤジのところ連れて行く。運転頼む」
「了解」
 後部座席に恵留奈を横たえ、玲奈がひざ枕をする。車が発進すると、疲れているのか恵留奈はほどなく眠りにつく。
「それにしてもさっきのはホントに危なかった」
 佐藤は思い出したように語り始める。
「霊的なモノは俺も感じなかったし、何もないだろうって確信してたらいきなり悪魔だもんな」
(この人も霊感あるんだ)
 玲奈は静かに二人の話を聞く。
「ま、ザコだったけどな」
「さすが明だな。いつも頼りなる。あれだけの数の悪魔を瞬殺とはな」
「えっ?」
 玲奈と明は同時に声を出す。
「ん? どうした?」
「今なんて言った?」
「いや、だから二階にびっしりいた百匹くらいの悪魔だよ。なんか必殺技みたいなもんで倒したんだろ?」
「百匹だと!?」
 玲奈の腕にぞわぞわと鳥肌が立ち始める。
「そうだよ、除霊出来ない俺でも悪魔数匹ならあんなに取り乱したりしないよ。百匹くらいいて、命の危険を感じたから小便ちびるくらいビビったんだぜ?」
(私達が行ったときは悪魔は一人だけだった。残りは逃げた? それともまだあそこに居て隠れていただけとか。後者の考えだと今生きて帰っていることは奇跡、または何かの目的があって生かされてるのか)
 玲奈の顔が青くなっているのに明も気がつく。
「真、悪いが俺が倒した悪魔は一匹だけだ。俺が二階に上がったときには一匹居ただけだからな」
 そう言われた真は運転中にも関わらず、明を見てびっくりする。
「マジか? じゃあ残りは?」
「前見て運転しろ。残りは知らん。逃げたか廃屋のどこぞに隠れていたかどちらかだろ」
「あの量だぞ? 逃げたり隠れたりしたら外に居た俺が見てるはずだ」
「そう言われてもな、とにかく今はオヤジのところに急いでくれ。疲れた」
 明はそう言ったきり助手席で眠り始める。釈然としないまま真は東名高速の方向にハンドルを切る。玲奈の心の中でも言いようのないざわめきでいっぱいになっていた――――


――深夜ニ時、怒られるのを承知で明の父親を呼びにいくも、恵留奈の様子をみると快く境内に招き入れられた。なぜか真だけは外で待つように言われ、ブーたれている。綺麗な布団が母親らしき人物に用意され、そこに恵留奈を横たわらせる。
「いつもと雰囲気が違う」
 真剣な表情でボソッという明を見て玲奈は不安になる。しばらくすると父親だけがやってきて、明の傍で二、三言葉をかわすと明が境内から出ていく。
(なんなんだろ? 今から何が起こるの?)
 訝しがる玲奈に父親が話し掛けてくる。
「はじめまして八神さん。明の父、楠原実継と申します」
 丁寧な挨拶に玲奈はどぎまぎする。
「は、はじめまして、八神玲奈と申します」
「八神さん、率直に申し上げます。私ではこちらの早乙女さんを救うことは出来かねます」
(そんな! じゃあ恵留奈は……)
「えっ、じゃあ、どうするんですか?」
「そのお話の前に、天使の存在を信じておりますか?」
(天使、ルタ)
 ずっと会えていない懐かしい顔を思いながら即答する。
「はい、信じています」
「分かりました。では早乙女さんの手を握ってあげて下さい。それで彼女は治りますよ」
(握っただけで治るって、まさか……)
「恵留奈って天使、なんですか?」
 実継は素直に頷く。
(信じられない、この恵留奈が天使だなんて)
「他にもいろいろお聞きしたいんですが」
「お気持ちは分かりますが、今はまず早乙女さんのことを」
(そうだ、最優先は恵留奈の手当てだ)
 布団に横に来るとすやすや眠る恵留奈の手を握る。特に外傷は見当たらないが、ルタとの件があり精神的なダメージを考慮する。予想通り恵留奈の身体全体から光が溢れ、境内を内側から強く照らす。
(今、分かった。あの廃屋でほとんどの悪魔を退治したのは恵留奈だ。力を使い果たして動けなくなったんだ。ありがとう、恵留奈……)
 玲奈の気持ちを察し実継は境内を後にする。境内から溢れる出る光は、陽が昇るまでずっと消えることはなかった。

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