龍の神に愛されて~龍神様が溺愛するのは、清き乙女~
(その言葉、私が物心ついた頃から言っているじゃない。
もう聞きあきたわ)


これは、村へ向かう時には必ず言われる言葉だ。

最後まで聞かなくたってわかる。


「わかっているのならば、問題はありませんね」


そう冷たく言い放ち、老婆は先に階段をゆっくりとした足取りで降りていく。

葵もその背中を追うように長い階段を一つずつ降りていく。

少しでも皆の前に立つ時間が、減るように。

ささやかではあるけど、これが葵こ精一杯の抵抗だ。


「「巫女姫様…」」

「「巫女姫様!」」


葵は階段を降り終え、村の小石が混じる土に足を踏み入れた。

その瞬間、水田にいた村人達が姿を視界の端に捉えたと同時に、一斉に葵に駆け寄ってくる。

そして、滑らかな動きで葵の目の前で土下座をし始めた。

よく見ると、腰の曲がった八十歳を越えるだろう老人から、まだ言葉を覚え始めたばかりだろう幼い子供までが葵に向かって土下座をしている。

これが、葵が村へ出るのが嫌いな要因の一つだ。

静かに村人達を見下ろす葵に、三十歳程の男が頭を下げたまま口を開いた。


「まだ稲を水田に植えたばかり。
どうか災害が起きませぬよう、龍神様にお伝え下さい…!」


そう。

こうして、龍神へ魂を捧げる儀式を強制される。

村全体の命がかかっているからと、大きな理由をつけて。


(だから、村には行きたくなかったのよ……)


しかし、そうとは言えない葵は、村人に偽りの微笑みを向けた。


「お任せ下さい。
龍神様のお怒りは、私が鎮めます」

「あぁ……、ありがたや……っ!」


男が頭を下げると同時に、いつの間にか集まっていた村人全員も頭を下げる。

葵は顔面に張りつけた偽りの笑みの裏で、静かにため息を吐いた。


(……何も、知らないくせに……)


村人達は、葵が災害から守る為に自身の魂を犠牲にしている事を誰も知らない。

知っているのは、老婆と村長だけだ。

村人全員が知っていたら、もっと違う反応があったのだろうか。

いや、きっと変わらない。

自分達が助かるならと、知っていても葵は強制され続けたはずだ。


(知らないだけ、ましかもしれないわね……)


顔の表面の笑みを崩さずに、心の中でそう悲しげに呟いた。


「巫女様、村人の為に三種祓詞《みくさのはらえことば》を…」


三種祓詞とは、あらゆる祈りの言葉として用いられ、自他の穢れを祓う場合に効果的とされているもの。

それを、今ここでと老婆が言う。

葵にはもちろん断る事は出来ない。

だから言われるがままに静かに瞳を閉じ、手を合わせた。


吐菩加身依美多女(とほかみえみため)

祓い給え清め給え(はらいたまえきよめたまえ)


そう紡ぐ葵を、村人達は静かな目で見ている。

そんな村人達の視線を遮るように齢五十程のほっそりとした男が葵の目の前に現れる。


「巫女姫様。
貴女がいなければ、龍神様のお怒りは鎮められません。
だからどうか……」


村長の言葉はそこで途切れてしまう。

しかし、その先を葵は知っている。

どうか、見捨てて逃げるな。

きっと、その一言だ。

重く頑丈な、切っても切れない枷を葵につける。

けして、葵が巫女の運命から逃れられないように。

葵は土下座をしている村人達を感情のない硝子玉のような目で見下ろした。


(等しく未来のある貴方達が、私は羨ましいわ……)


今目の前にいる村人達は、巫女によって未来が確約されている。

しかし。


(私に、未来はないのよ)


口には出せない悲痛な言葉を葵は胸の中でも呟く。

きっと、この思いは伝わらない。

けれど、一人だけわかってくれそうな人物がいる。


(皐月様……)


月明かりの下、初めて葵に屈託のない笑みを見せた繧霞の息子。

今宵も、来ると言った。

また会えるのが、純粋に楽しみだ。

嫌な事など、一瞬で忘れられる。

たとえ未来がなくても、それだけが葵を唯一繋ぎ止める。


(皐月様、今宵もお待ちしております……)


葵は少し穏やかな表情で瞳を閉じた。





< 14 / 53 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop