龍の神に愛されて~龍神様が溺愛するのは、清き乙女~
一章
月明かりの中で……
ふわりと頬を撫でる、大きくて温かい手。
それをふいに感じて、葵は重い瞼を必死に抉じ開けた。
狭い開かずの間の空間は、ひんやりとした夜の空気に包まれている。
格子窓から外を見ると、満月はそれほど動いてはおらず、ここに入った時と変わらない夜空の位置にある。
それをただ無心に、ぼんやりと葵は見つめた。
繧霞の気配は感じない。
葵が気を失ったことで、大人しく祭壇に戻ったのだろう。
よかった、本当に。
ほっと胸を撫で下ろし、再び瞼を下ろそうとした。
しかし、その時だった。
「体は平気か?」
聞こえてきたのは、低く穏やかな青年の声。
ゆっくりと瞼を押し上げた葵を青年が覗き込んだ。
視界に映ったのは、柔らかそうな黒の長髪。
さらりと風に揺れ、月明かりを浴びるその様子は美しい。
じっと見つめている金色の瞳は硝子玉のように透き通っていて、吸い込まれてしまいそう。
長身の体に纏った淡い緑の単と薄紫の羽織が、秀麗な青年の顔を引き立てる。
綺麗な人。
それが葵の第一印象だった。
けれども、そう考えたのはほんの一瞬。
葵は慌てて重い体を起こした。
「ここは立ち入り出来ないように結界で封じてあったはず。
どうやってここに入って来たの!」
誰も入れないはずだ。
それなのに、目の前の青年はここにいる。
まさか、結界を越えてきたのか。
「……これしきの結界、私だったら通り抜けられる」
柔かな笑みを浮かべて、青年は警戒心剥き出しの葵を見る。
そして、やんわりと首を傾げながら青年は口を開いた。
「私は皐月。
この社の龍神、繧霞の息子だ」
「繧霞様の……!
も、申し訳ありません、ご無礼をお許し下さい!!」
ようやく、理解した。
どうして、この結界を通れたのか。
この結界は、社主とそれに関係する者は通れるように細工されているのだ。
「どうか、お許し下さいませ……っ!」
葵は大きく目を開いて、再びそう叫ぶ。
そして、勢いよく請い詫びるように土下座をした。
こめかみから流れる冷や汗が止まらない。
あぁ、なんてことをしたのだろう。
相手はあの繧霞の息子。
そんな皐月を怪しみ叫ぶなど、罰当たりにもほどがある。
ともすれば、巫女失格だ。
しかし、焦る気持ちとは裏腹に。
魂を削った後の葵には、咄嗟の素早い動きは酷なものでしかなかった。
「……う……っ」
ふいに、ぐらりと視界が歪む。
それと同時に、強い吐き気が葵を襲った。
倒れないようにと咄嗟に床に手をついたが、体を支えきれずに滑ってしまう。
「……おいっ、大丈夫か!?」
ひどく焦りに満ちた皐月の声が耳朶を打つ。
けれども、その声に答えている余裕があるはずがなくて。
どさりと目の前で再び床に倒れる葵に、皐月は慌てて手を伸ばした。
迷うこともなく背中に触れた、皐月の大きな手。
その手でしばらく背中を撫でて、葵の呼吸が落ち着くのを待ってくれる。
やがて呼吸が落ち着いてきた頃、ゆっくりと優しく助け起こしてくれた。
「謝らなくてもいい。
だから、無茶はするな。
父から魂をかなり削られたのだろう?」
「……はい、すみません……」
心配するその声に力なく俯いて、葵は小さくそう謝った。