龍の神に愛されて~龍神様が溺愛するのは、清き乙女~
「葵、開かずの間へ行こう。
二人きりに、なりたい」

「は、はい……っ」


すっと、綺麗な瞳を優しく細めて、甘い声で囁いて。

皐月の吐息が、顔を掠めては空気に溶けて消えていく。

それを肌で強く感じながら、葵は大きく頷いた。

ゆっくりと二人並んで、境内を歩く。

どうやら皐月は葵の歩幅に合わせてくれているようだ。

何気ないその優しさが嬉しくて、葵は柔らかな笑みを浮かべた。

道中、会話はなかった。

けれど、不思議と息苦しくはなく、むしろ居心地がとてもいい。


「どうぞ、中へお入り下さい」


葵は開かずの間の扉を開き、皐月を中へと招く。

皐月が中に入ったあと念のため周りを確認して、扉を閉めた。


「葵、こちらにおいで」


皐月が座ったのは、昨夜と同じ場所。

その隣をぽんぽんと叩き、座るように促した。


「今日は気分がいいようだな、葵」


月明かりが照らす開かずの間。

月が見える天窓の向かい壁に凭れ掛かり、皐月は隣にいる葵の頬にそっと手で触れた。


「今日は贄の儀をやってませんから」


葵は頬を撫でる皐月の手の動きにむず痒さを感じ、目を細めて言葉を返す。

初めて会った昨夜もそうだったのだが、皐月は葵によく触れる。

どうしてなのだろう。


「あんな傲慢な父に魂を捧げているのは、もったいないな……」


頬を撫でていた手をゆっくりと離しながら、皐月は呟く。

一体何が勿体ないのかわからない葵は、皐月に首を傾げてみせた。


「どういう事ですか?」


皐月は純粋な葵の表情に柔らかな笑みを浮かべ、月を見上げる。

そして、こう聞いてきた。


「贄の儀から逃げたいと思わないのか?」

「え?」


皐月の言葉に、葵は目を大きく開く。

まさか、皐月にそれを聞かれるとは思っていなかった。

今まで葵本人に、それを聞く者など存在しなかったのだから。


「正直に言っていいぞ。
誰にも言わないと約束するから」

真剣な表情で誓う皐月に絆されるように、葵はゆっくりと頷いた。


「はい、考えた事はあります」

「……でも、逃げないのは何故だ?」


俯く葵に、皐月が静かに聞く。

葵は、膝の上で強く拳を握った。

そんなこと、繧霞の息子なら言わずともわかるはずなのに。

あえて、それを本人に聞くのか。


「私が逃げれば、繧霞様のお怒りが村に被害を与えます。
私には、沢山の命が預けられているんです」


逃げれば、村が滅ぶ。

沢山の命が、葵の身勝手な行動によって失われるのだ。


「やはり、お前はいつも父の事、村の事ばかりだな……」


どこか悔しげで、悲しいものにも聞こえるその声に、葵は皐月を振り向く。

すると、皐月は膝を抱えるように座り、葵をじっと見つめていた。


「皐月様……?」


葵は言われている意味がわからず、首を傾げる。

それを見た皐月は、ふいに拗ねた表情を笑みに崩した。
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