龍の神に愛されて~龍神様が溺愛するのは、清き乙女~
「……月が綺麗だなぁ、葵」


そう皐月がふいに呟いた。

ゆったりと、穏やかに。

それはまるで、何も言うな、考えるなと示しているかのようで。

葵は自然とその声に従って口を閉じる。

そして、葵も皐月の視線を追い、満天の星がまたたいて美しい夜空の月を見た。


「綺麗……」


葵もそう呟いた。

けれど、葵は月を見てそう言ったわけではない。

月明かりに照らされ、淡い笑みを浮かべて見上げている皐月を見て言ったのだ。

見た瞬間に恐れしか感じない繧霞とは違う神聖な雰囲気。

優しい表情と声をした皐月。

初めて会って、話したはずなのに。

ずっと昔から一緒にいるような錯覚がして、初めてだということを忘れてしまう。


「……どうした、葵?
私の顔に何かついてるか?」


じっと皐月を見つめていた葵に、皐月が不思議そうに首を傾げながら聞いてきた。


「い、いいえ!」


自然と吸い寄せられるかのように見つめていたのだが。

言われて初めて、ずっと見つめていた事実に恥ずかしさが込み上げた。

冷たくなっていたはずの葵の頬に、一瞬にして赤みが戻ってくるのがはっきりとわかる。

それはまるで、風邪を引いて熱を出した時のように熱くて堪らない。

そして何よりも、じっと見つめ返してくる皐月の視線が恥ずかしい。

あぁ、もう無理だ。

皐月が注いでいる視線が恥ずかしすぎる。

どうしてもその視線に耐えられなくなった葵は、皐月が掛けてくれた羽織を頭から被って潜ってしまった。

けれど、どうして恥ずかしいと思うのだろう。

男というと、繧霞しか会った事がない。

その繧霞が降臨する際は漆黒の長大な龍身しか見せないからだろうか。

それとも、巫女が俗世に関わるのは最大の禁忌で、定めだと教えられているからだろうか。

異性と会うなど、普段世話をしてくれている老婆や村人達、繧霞が絶対に認めない。

今思い起こせば、葵自身異性の顔を見たり、声を聞いたりするのは初めてなのだ。


(どうしよう…潜ったのはいいけれど……)


羽織に移る皐月のものだろう白梅の香が葵の鼻腔を擽る。

まるで、皐月に抱きしめられているようでさらに気持ちが落ち着かない。

きっと、潜ったのは失敗だ。

葵は心の中で自分の失態にそう呟いた。

ぐるぐると、頭の中で混乱気味の葵をよそに。


「……ふ……、はは………っ」


ふいに堪えきれなくなったように吹き出して、皐月が笑い声を上げた。

それは、表情を確かめる必要もないくらいに楽しそうで。

思わず気になってしまった葵は、そろりと羽織りから顔を覗かせた。


「ど、どうして笑うのですか…?」


視線を巡らせた先に皐月を見つけて、葵はぼそぼそと問いかける。

すると、皐月はまだ止まない笑みを顔に浮かべたまま、ゆっくりと口を開いた。
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