龍の神に愛されて~龍神様が溺愛するのは、清き乙女~
二章

皐月side



「どこに行っていた、皐月」


ふいに皐月を呼んだのは、低く、機嫌の悪い男の声だ。

その声に立ち止まり、皐月は目をすっと細める。

御簾の僅かな隙間から溢れる月明かり。

蒼白く照らされたそこは、皐月の帰るべき場所。

天界の片隅に存在し、小さな祭壇と寝泊まりできる部屋が二、三ヶ所ある木造建ての小さな社だ。

その祭壇のある本殿の前を通っていた皐月は、声の聞こえたそちらをちらりと見た。

ばさばさと纏まりのない、漆黒の少し色褪せた長髪。

曇って本来の輝きを失った、金色の瞳。

顔には少しの苛立ちの見える、見た目中年の男がいた。

彼が皐月の父・繧霞だ。


皐月はふいに、顔を繧霞から背けた。

あぁ、またこの言葉なのか。

もはや、聞き飽きたと言っていい。

一言目には必ず、どこへ行ったのかという言葉を突きつけるのだ。


「貴方には関係ない」


答える皐月の言葉には、怒りや悲しみなどの感情は一切ない。

波風の立たない静かな水面のように平淡。

恐ろしいほど無心だった。


「皐月」


そんな声を聞き、繧霞は褪せた黒髪を揺らしながら皐月を振り返った。

顔を背けている皐月。

外から流れてくる風に黒髪と着物の袂を揺らしながら、これ以上関わるなというような雰囲気を纏わせている。

そんな皐月の背中を、繧霞は横目でぎろりと睨んだ。


「この社から一歩も出るなと言ったのを忘れたのか?」


繧霞の怒りの混じる言葉に苛立ちを覚えた皐月は、思わず拳を握りしめる。

そして、勢いよく振り返って、繧霞を睨み返した。


「私はもう子供ではない。
貴方に指図される必要はないだろう」

「たかが百年かそこらの若輩の神が偉そうに……。
生意気を言うでない」


神は心臓を貫かれない限り、永遠という時を生きる。

人からすれば、気の遠くなるような時間だろう。

繧霞もまた、千年という遥かな時を生きているのだ。

だからなのだろうか。

神は、生きる者全てから敬われる。

そして、遥かなる時の流れを持ち、この世を支えるだけの強い力を有している。

それは神の威厳であり、存在だ。

けれども。

皐月はそれが一番嫌いだった。

今宵出会った、巫女姫の葵。

葵は、小さな田舎村を守る為に魂を捧げている。

そして、そこに暮らす者達も、当たり前だという認識だ。

やはりそれは。

捧げているのが、神であるから。

村が信仰する、偉大なる神であるから疑わない。

信仰する者達は、神の言う言葉は全て信じ、実行する。

そこに、彼ら自身の意志はない。

皐月の認識で言うのなら、きっと。

あの村に住む人々は、繧霞にいいように操られているのだ。
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