私は彼のことが苦手です。
*
湊真がオフィスに戻ってきたのは、定時を30分ほど過ぎた頃。
今日は直帰だと思っていたから少し驚きながらも、私は何とか平静を装っていた。
現在、新薬が発売されたばかりの時期で、MRだけでなくサポートをする私たちも忙しい日々を送っている。
昨日の勉強会もそれに関連したもので。
もしかしたら湊真は調べものがあってオフィスに戻ってきたのかもしれない。
新薬やよく売れている医薬品の資料が収められた、オフィスの隣にある資料室に資料を戻し廊下に出た時、湊真がちょうどオフィスから出てきたのが目に入ってきた。
不意打ちのことで心臓が音をたてる。
わ、どうしよう……。いつも通りでいいのかな……。
つい資料室の前で足を止めてしまっていると湊真が私に気付き、オフィス仕様のやわらかい笑みが浮かべて近付いてきた。
「お疲れ様。野瀬さん」
「……お疲れ様です」
表情と「野瀬さん」という呼び方に、完全にオフィスモードなのだと感じて少し安堵した瞬間、湊真がオフィスでは見せない笑みを向けてきた。
私と湊真との身長差は20センチほどあって、私の目線の高さに近付けるように湊真は体を少し屈ませ、囁くように言う。
「今日はちゃんとひとりで起きれた? 俺がいなくて寂しくなかった?」
「!」
「なんてな。体きつくない? 仕事は適当に切り上げて、今日の夜はちゃんと休めよ。って、散々無理させた俺が言うなって話だけど」
「……大丈夫です。高宮さんも、無理しないで、……」
「くださいね」という言葉を、私は出せなかった。私の目にあるものが映ったから。
それは、私が昨日、「はずして」と湊真にお願いしたもの。
取引先で指輪をするのはちゃんと理由があるから仕方ないと思う。
でも、私がいるオフィスでつけておく必要はないよね?
実際、取引先から帰ってきた時にはつけていないことだってあるから。
はずしてほしいとお願いしたのに、今までと同じようにその指輪は私の前ではずす気はないってこと……?
嫌な気持ちが湧き上がってきて、わがままなことを考えてしまう。
飾りものって言うのなら、そんな指輪なんかはずしてよ、って。