私は彼のことが苦手です。
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険しい表情をした部長に小会議室に呼ばれたのは、次の日の朝一のこと。
部長の口から「高宮くんのことなんだけど」と飛び出してきた瞬間、昨日の資料室でのキスを思い出して、もしかして誰かに見られていたのだろうかと心臓が飛び出しそうになった。
でも、その後に続いた部長の言葉は、予想していないものだった。
「高宮さんの資料作成のフォローですか?」
「あぁ。高宮くんから報告を受けた時には自分だけで大丈夫だと言っていたんだが、野瀬さんがいればずいぶん楽になるだろうから」
「フォローするのは構いませんけど、高宮さん、何かあったんですか?」
普段であれば資料をまとめたり作成のサポートをしたりする作業は、MRから直接依頼される。
なのに、部長から依頼されたことに即座に疑問を感じ、私はすぐに疑問を投げかけていた。
2年以上働いているけれど初めてのことで、何かがあったとしか思えなかった。
「先日までは何の問題もなくうちの医薬品を取り扱っていて新薬にも好意的だった病院の医師が、昨日急に手のひらを返したように無理難題を出してきてね。断れば、他の製薬会社に変える準備を始めると。今週中にうちの新薬と他の医薬品との相互作用に関する文献を追加で集めろと言われたようなんだ」
「相互作用なら十分提示はしているはずですよね……。そんな突然態度を変えてくるようなこと、普通にあるんですか? 医薬品を変えるなんて簡単ではないでしょうし、今まで聞いたことないんですけど」
「その通り、頻繁にはないんだがね」
「好意的でトラブルもなかったし、高宮くんも身に覚えがないと言っていて、一体何があったのかわからないんだ」と部長が首を横に振りながら、ため息をつく。
昨日ということは、夕方湊真が戻ってきた頃にはすでにこのことを抱えていたってこと?
でも湊真にはそんな素振りは一切見られなかったし、そんなことは一言も言ってなかった。
言ってくれたらサポートに入ったのに、何で……。
「そういうことだから、頼むよ」
「はい。わかりました」
部長の真剣な表情に、頷く。
今はどうして言ってくれなかったのかなんて理由を考えている場合じゃない。
しっかり湊真のサポートをすることが、私の仕事だ。
私の方でしておける作業はないかというメッセージを湊真の携帯に残し通常業務をこなしていると、その1時間後にいくつかの文献の名前だけが書かれたメールが送られてきた。
忙しく動き回っているのだろうと、私はメールで「了解しました」という言葉と「少しでもいいから休んでください」と送っておいた。
社員が共用している、出先からでも見ることができるサーバーのフォルダがある。
普段は依頼された時にしか開かないけれど、私は湊真の使用しているフォルダの中のひとつのフォルダを開いていた。
そこに並ぶたくさんの文書。そして、更新日時。
……湊真はきっとほとんど寝てない。昨日の夜から今朝まで仕事をしていたんだ。そして、今も。
私は湊真に言われた通り、昨日は早めに休んだ。
その間も湊真はひとり頑張っていたんだと思うと、無性に悔しさがこみ上げてきた。
その悔しさを発散させるように、少しでも湊真が楽になるように、指定された文献や考えうる資料をまとめていった。