どうしてほしいの、この僕に
 笠間さんが片方の眉だけを器用に持ち上げて笑った。優輝は私を一瞬睨みつけ、それから後ろを振り返る。明日香さんが「優輝さま」と大声で呼んだのだ。
「あら、柴田未莉さんじゃない」
 意外なことに明日香さんが私を見つけ、タタタッと駆けてきた。
「オーディションで隣の席でしたよね」
「はい」
「よく名前を覚えていたな」
 優輝が自分のあごを撫でながら言った。私も明日香さんの記憶力に舌を巻く。
 明日香さんはにっこりと微笑んで、とんでもないセリフをさらりと口にした。
「だって『ミリ』は『無理』って意味でしょ? ぴったりの名前だと思ったから」
 無邪気な笑顔を向けられた私は、口を半開きにしたまま絶句する。ものすごい勢いで足元から頭へ血がのぼってくるけど、この気持ちをひとことで言い表すことはできそうにない。
 凍りついた空気にいち早くナイフを差し入れたのは笠間さんだった。
「どういう意味だろう。私にはさっぱりわからないが、守岡くんはわかる?」
「わかる必要もないでしょう。くだらない」
「えー、優輝さまも未莉さんに『変な顔』って言ったくせにぃ」
 明日香さんは私を指さしながら優輝の腕にしなだれる。迷惑そうな表情をしたものの優輝は彼女を振り払おうとはしなかった。
 なんなんだ、これは。
 胸の中が不愉快な思いでいっぱいになり、今にも爆発しそうだった。何か言い返してやろうと口を開きかけたそのとき、優輝が私の顔を覗き込むようにして言った。
「僕は未莉さんにきちんとあやまりましたよ。ね?」
「え? あ、はい」
 不意打ちをくらい、気勢が削がれた。
 次の瞬間、優輝は蔑むような視線を明日香さんへ向ける。
「姫野さん、君もあやまるべきだと思う。今の君の笑顔は正直、不快でしかない」
「ひっどーい。優輝さまはこんな生意気な顔した女の肩を持つんですね。わかった。私のことバカにしているんだ! 頭悪いと思っているんでしょ? ひどい。ひっどーい!」
 一方的にまくしたて、手で顔を覆うと、明日香さんはスタジオから出ていった。いじめに遭った悲劇のヒロインさながらに走り去る姿を、事情を知らないスタッフがぎょっとした顔で見送る。
 残された私たちはあっけにとられていたけど、優輝のため息で呪縛から解放されたようにようやく互いに顔を見合わせた。
 笠間さんが私の肩にポンと手を置いた。
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