どうしてほしいの、この僕に
「だってそんな粘着質な男に足引っ張られるのは嫌だもん」
「それはそうだけど」
「仕事は他にいくらでもあるって」
「でも今はそんな簡単に次が見つからないよ」
 私は意味もなく自分の指を組んでみたり広げてみたりした。柚鈴の視線を痛いほど感じるが、なかなか顔を上げることができない。
「考え方の問題だね」
 そう言って柚鈴は長い足を組み、その膝上に肘を乗せた。
「未莉は自分で自分を縛りつけているんだよ。がっちがちに、ね」
「そうかな」
 うんうん、と頷いて柚鈴はコーヒーをひと口飲む。
 私はテーブルの上に無造作に広げられたナッツの袋を眺めた。
 コツンという音とともにマグカップがテーブルの上に戻り、柚鈴のきれいな指が持ち手から離れる。
「今の会社が居心地いいならまだしも、未莉がそこにこだわる理由が私にはわからないな。それにさ、未莉のコマーシャルが話題になれば、会社勤めなんかしていられなくなるよー」
 優しい表情でそう言う親友を見つめながら、私は何もかもがうまくいく未来を想像してみた。だけどあまりにも都合のよすぎる妄想はちっとも現実味が感じられず、虚しいだけ。すぐさま消去する。
 だいたい今の私には人気も実績もないのだ。
 優輝にも言われたけど、コマーシャルに出ることで少しでも名前が売れればいいが、その後も順調に仕事が来る保証はどこにもない。
 思うに人は変化を嫌う生きものなのだ。現状よりもっとよい未来が待っているなら変化も大歓迎だが、悪くなるなら現状維持を選んだほうが間違いないもの。
 だーーーっ!
 これがいけない。この保守的な思想がまさしく『自分で自分を縛りつけている』わけだ。まだかろうじて20代前半だというのに、がっちがちに凝り固まってどうする!?
 でも——。
 父と母が最期にいた場所に立ったとき、私は心の底から思ったのだ。できるなら、あの朝に帰りたい。父も母もそして姉も笑っていた、あの冬の朝に。
 焼け落ちた建物の残骸が撤去され、更地になったその場所は、悲惨なできごとの爪痕など微塵も残さず、すっかり別の風景に変わっていた。
 この世に変わらないものはひとつもない。
 だからこそ私は変わることを怖いと感じてしまうのだ。
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