どうしてほしいの、この僕に
 私はてのひらの上にある鍵をじっと見つめた。これは先程高木さんから強引に渡された彼の車の鍵だ。
「送っていただかなくても、ひとりで帰れます」
「いいや、そんなことはさせられない」
 そんなやり取りの末、私は高木さんの車のキーを預かる羽目になったのだ。
 そして社長が無事に帰るまで待合室で時間をつぶすように、と指示された、なので私は見るともなしにテレビの画面を眺めたり、紙コップのお茶を啜ったりしてぼんやりしていた。
 ちなみに夕飯時の待合室には、私の他に人影はない。
 遠くからカツンカツンと床を踏み鳴らし、こちらへ近づいてくる足音に耳をすます。わけもなく胸騒ぎを覚え、私は出入口を注視した。
「元気そうね」
 高木さんから支給されたものとよく似たサングラスに真っ赤なルージュを引き、黒のショートパンツに紫色のタイツを着用したスタイル抜群の若い女性が戸口に現れた。
 ——この声、間違いない
 聞き覚えのあるクリアな声に反応して、ぞわぞわと背中の皮膚が粟立つ。
 テレビでしか見たことのない人ならここまでの確信は抱けなかっただろう。でも実際に会ったことのある知人であれば、どれほど巧妙な変装をしても脳が反応してしまうものらしい。
 それにしてもオーディションやドラマ撮影現場では、清楚な世間知らずのお嬢様っぽい服装やふるまいだったが、このハードな雰囲気もなかなか板についている。
「もしかして……明日香さん?」
「当たり」
 姫野明日香は大きめのサングラスを下にずらし、私を睨めつけた。年下のくせになんという迫力。これまでのイメージを覆すロックな服装で、さらに箔がついたというか。
 入院患者を見舞うにはずいぶん派手だけど、これはたぶん明日香さんなりの変装で、やっぱり優輝に会いに来たんだよね。
「お見舞いなら、ここから左に進んで……」
「違うわ。用があるのは、あなた」
「えっ?」
 驚いた。明日香さんが私になんの用があるのだろう。
 急に柚鈴との会話を思い出し、背筋が寒くなる。まさか友広くん絡みで——!?
「そんなに私に負けたのが悔しかった?」
「……えっと」
 負けた?
 悔しい?
 いったい何の話だ?
 まったく話が見えないので明日香さんの大ぶりなサングラスを凝視する。
「優輝さま、ドラマを降板したの。ミリさん、あなたのせいなんだから」
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