どうしてほしいの、この僕に
 彼女は私の背後に向けて挨拶をした。振り返ると友広くんの姿が目に飛び込んでくる。
「おはようございます」
 彼はぶっきらぼうにそう言うと、すれ違いざま冷たい視線をぶつけてきた。
「かっこいい彼氏がうらやましいですね」
 私ではなく谷本さんへそう言い残し、友広くんは歩き去る。
 会話を聞かれていたことはショックだったが、これで友広くんとの変な噂が消えるはず。だからよかったのだ、と自分に言い聞かせた。
 怪訝な顔で友広くんを見送った谷本さんは、ふぅと大きく息をつくと私の肩をポンと叩いた。
「じゃ、今日も1日がんばろう」
「はい」
 元気に返事をしたら、もやもやとした嫌な気分はとりあえずどこかに吹っ飛んでいった。

 谷本さんが噂を否定してくれたおかげか、私に向けられる女性陣の視線はいつもより穏やかだった。
 友広くんもこれだけモテるのだから、常に怖い顔をした私ではなく、笑顔のかわいい女性をターゲットにすればいいのだ。
 そう思いながらそそくさと帰宅準備をする。というのも、仕事が終わったら事務所へ来るように、と姉からメールが来ていたのだ。
 もしかしたらスペシャルドラマの話に進展があったのかもしれない。
 会社を出て、すぐにタクシーに乗り込む。
 雲の上を歩くようなふわふわした足取りでビルの入口を通り抜け、事務所への通路を進んだ。
 ドアを開け、最初に目が会ったのは事務の伊藤さんだった。彼女はパッと顔を輝かせ、「決まりましたよ」とクリアファイルをかざす。昨晩優輝に見せてもらったスペシャルドラマの企画書だ。
「やったー!」
 思わずガッツポーズを取った私を見て、姉がクスクス笑った。
「よかったわね。未莉の嬉しそうな顔、久しぶりに見たわ」
 おおお!?
「私、少し笑えてる?」
「そうね。でも真顔と区別がつかないかも」
 頬を手で押さえてうつむいた。そうか。まだダメか。
 最近ちょっとずつ頬の筋肉が緩んでいる気がするんだけどな。
 でも死ぬほど嬉しい。幼い頃からの夢が叶いそうなのだ。今なら空も飛べる気がする。
「これもすべて、守岡くんが口添えしてくれたおかげよ。『未莉が相手役なら出演する』とテレビ局やスポンサーに直接掛け合ったみたい」
 姉が前髪をかき上げながら、言外に「礼を言っておけ」と圧力をかけてくる。
「うん……」
 あの人——ドラマの出演は辞退しろと言ったくせに。
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