どうしてほしいの、この僕に
 私は両手で頬を包み込む。確かに少し肉が薄くなったような気はする。
「あ、でも夜はみんなで焼肉ですよね? たくさん食べてスタミナつけなきゃ!」
 明日の撮影開始時間がいつもより遅いので、今日の撮影終了後、都合のつくキャストとスタッフで食事に行くのだ。
「未莉は無理せず早く帰ってきて休んだほうがいいんじゃないか」
「私がいると何か困ることでもあるんですか?」
「ま、それだけの元気があれば大丈夫か」
 優輝は呆れたように小さく嘆息を漏らすと席を立ち、キッチンでコーヒーを淹れた。コーヒーのいい香りが漂ってくる。湯気の立つマグカップが私の前にも置かれた。
 最近、ちょっとした移動なら家の中では松葉杖を使わなくなっている。担当医師も驚くほどけがの治りが早いらしい。それは私にとっても喜ばしいことだ。
 ——やっぱり不便な生活を強いられる姿を毎日目の当たりにするのは、つらいものがあるよ。私の身代わりだと思えばますます……。
 あらためて足の骨折で済んだのは不幸中の幸いだったと思う。
 もし、優輝か私の反応が一瞬でも遅かったら、胴体の上に照明器具が落下していたのだ。命にかかわっていたかもしれない。
 こんなふうに優輝と向かい合ってコーヒーを味わえるのは、ありふれた日常なんかじゃない、と唐突に思った。
 今日このときは、二度と繰り返すことのない一瞬なのだ。
 うれしいことも悲しいことも、楽しいことも苦しいことも、いつかは終わり、薄れて過去になる。
 その一瞬一瞬を積み重ねて、私はここにたどり着いた。
 そして今このときが私を未来へと運んでいく。
 だから軌跡が奇跡に変わる瞬間を見逃さないようにしなくては——。

 本日の予定されていた分を撮り終わり、スタッフと焼肉店の場所を確認してスタジオを出た。
 今日の撮影は驚くほど順調に進んだ。目の前に焼肉がぶら下がっているとこんなにがんばれるのか、と我ながら感心する。おそるべし、焼肉。
 火事で焼け出され冬の寒空の下、優輝の部屋に転がり込んだ日のことを思いだす。あれからそれほど経っていないのに、夜風には春の匂いが混じるようになった。
 ——この短期間にいろいろあったな。
 朝、コーヒーを飲みながら私に起きた奇跡に思いを馳せたせいか、季節の移ろいでさえも心に沁みる。
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