どうしてほしいの、この僕に
 優輝の声がかすれた。
 まずい。湿っぽくなってしまった。
 何か言い訳しようと口を開きかけたそのとき、西永さんの声がスタジオ内に響いた。
「さぁ、睦(むつみ)ちゃんが部屋に入ってくるところから始めよう」
 睦というのは私の役名だ。
 一瞬だけ優輝と視線を交わし、部屋のセットへ向かう。スタンバイの場所へ一歩近づくごとに緊張が高まっていく。飛び出してきそうな心臓を両手で押さえた。
 大きく息を吸い、顔を上げると、視線の先にサイティさんの姿があった。
 彼女はこれから私が入っていく部屋の中を見ている。その横顔は一見なんの表情も浮かんでいないように思えた。
 だけど西永さんが次々と細かい指示を出し、周囲でスタッフがばたばたと動き回っているにもかかわらず、彼女の視線は少しも動かず一点をじっと見つめている。
 彼女が凝視している対象が優輝だとわかった瞬間、胸の中心を矢で打ち抜かれたような感覚が私を襲った。

 この日は結局笑顔を作ることができず、私の表情がないシーンばかりを撮影して終わった。
 途中で優輝が気を遣って話しかけてくれたけど、気分はどん底まで沈み、曖昧な反応しかできなかった。
「未莉、大丈夫か?」
 私より後に帰宅した優輝が、玄関に入るなり言った。
 彼の顔を見た瞬間、張り詰めていたものが一気に緩む。
「もう泣きそうですよ」
 靴を脱いだ優輝は私の前に来て、自分の胸に私の頭を押し付けた。
「俺のせいだな」
 頭上で後悔をたっぷりと含んだ声がした。
「いいえ、せっかくのアドバイスを私が勝手に……」
「俺の配慮が足りなかったせいだろ?」
「いや……」
 違う、と言おうとしたが、その前にあごを持ち上げられ、唇がふさがれる。
 重ねただけでなく、ついばまれ、舌でこじ開けられた。
 口内を確かめるように彼の舌が私を翻弄する。じれったいその動きは眠っていた私の官能に火をつける。
 足の力が抜けそうになり、慌てて優輝の腕にすがりついた。
 それでもキスは深まるばかりで、しばらくその激しい行為に没頭した。
 先に唇を離したのは優輝だった。
「無事に撮影が終わるまで未莉に触れないほうがいいと思っていたけど、逆効果だったな」
 彼は私の顔を覗き込んでニヤリと笑った。
「そ、そう? でもどうして……」
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