どうしてほしいの、この僕に
 しかし優輝が彼女を「沙知絵」と呼び捨てにしたことの衝撃に比べれば、正直どうでもいい話だ。
 ——そりゃ幼馴染ですから、呼び方が変によそよそしくても勘繰りますけど。
 脳内ではいくらでも悪態をつけるが、実際は口を半開きにして茫然とするくらいしかできないわけで。
 そんな情けない私を前にして、優輝は大きなため息をついた。
「悪かったな。余計な気をつかわせて」
「別に……ただ忘れていただけなんで」
「沙知絵から聞いたことは忘れろ」
「だから、忘れていたと言っているでしょ!」
 なぜか怒鳴りだす私。突如、感情が暴走した。頭に血が上り、もはや理性では止められない。
 優輝は驚いたように目を見開き、絶句する。
 それを見た瞬間、ナイフで抉られたように胸が痛み、涙がこみ上げてきた。
 私は勝手に怒り出し、傷ついていた。理由はわかりすぎるほど明白だ。だからなおさら悔しかった。
「私は……高校生のときからずっと……優輝しかいないのに!」
 何を言いだすのだ、私は。
 相手の過去に嫉妬するなんて、まったく意味のないことじゃないか。
「どういう意味?」
 優輝は険しい表情で少し首を傾げた。
 どうもこうもない。
 でも知られたくはなかった。できればずっと隠しておきたかった。
 ——それもここまでか。
 覚悟を決め、大きく息を吸い込んだ。
「高1のとき、優輝と会って少しだけ話をしたでしょ?」
「ああ、車が未莉にぶつかってきて転んだ」
「そう。私はそのときはじめて男の人にドキドキして……それから優輝以外の男の人にそんな気持ちになったことは一度もないの!」
 ついに言ってしまった。
 恥ずかしさと軽い興奮で足元がふわふわする。
 優輝が近づいて来て、私の背中に手をまわした。困ったヤツだな、というように相好を崩す。
「そんなかわいいこと言うと、どうなるかわかってる?」
 至近距離でじっと見つめられ、彼から視線を外すことができない。垂れた目尻に心がくすぐられる。
「わかんない……けど」
 唇がそっと触れ合った。
 その唇が私以外の女性を親しげに呼ぶのは、やっぱり嫌だと思う。
「私は優輝のことが好きだから」
 だから他の女性のほうを向かないで。
 私だけを見ていて。
 彼の腰に腕を回し、ぎゅっとしがみつく。このまま永遠に彼のすべてを私の腕の中に縫い留めておけたらいいのに。
「どうした、急に」
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