どうしてほしいの、この僕に
「おい、突然どうした、未莉ちゃん」
「えっ、あ……えっと」
 口をパクパクする私の隣で高木さんが爆笑している。
「おもしろいな。優輝が君をひとりじめするなんてもったいない。たまには俺のところにも来てくれない?」
 それって、どういう意味でおっしゃっているんでしょう。当然からかっているだけですよね。
 愛想笑いを浮かべることもできない私は、真顔で高木さんを見返した。その瞬間、高木さんの背後に人影を見つけて驚く。帽子を目深にかぶった長身のあやしい人影が口を開いた。
「なかなか戻ってこないと思っていたら、なるほどね」
 その声はまぎれもなく優輝のものだ。高木さんの笑みがひきつる。
「冗談だよ、冗談。怒るなって」
「怒るわけないでしょう。未莉が決めることだから、僕は何も言わない。高木さんのところへ行きたければいつでもどうぞ」
 後半は私に向けた言葉だった。感情を抑制した低い声は、まさにナイフのような切れ味で私の胸の内側をえぐる。
「俺が悪かった。でも冗談だから」
「冗談なら何を言っても許される、と?」
 優輝は帽子の下から高木さんへ軽蔑するような視線を送る。降参というように、高木さんは胸の前で両手を挙げた。
「未莉ちゃんをからかって、すみませんでした」
「あ、あの、私はきちんと留守番しますから!」
 私も黙っていられなくなって、ふたりに向かって妙な宣言をした。
「だからもうこの辺で……って、えええーっ?」
 険悪なムードを断ち切ろうと勇んでいた私の腕を優輝がいきなりつかみ、高木さんを置き去りにしてスタスタ歩き出す。
 ——あの、もしかして、本当に怒っていたりする?
 ——でも、どうして?
 気になって振り返ると、高木さんが苦笑いを浮かべて私に目配せした。

 ふかふかのふとんと寝心地のよいベッドをひとりで占領してぐっすり眠った私は、翌朝姉が用意してくれた服を着て出社した。
 向かいの席の友広くんは硬い表情で「おはようございます」と言ったきり、気難しい顔をしてパソコンに向かっている。
 だけどそれ以外は拍子抜けするほど変化がなく、私に関する変な噂が広まっている様子もない。友広くんは私が男性と一緒だったことを他言せずにいてくれたようだ。急に私生活が一変してしまったので、職場が以前のまま平穏でホッとした。
 午後から半休をもらい、用を足した後、姉の事務所へ向かった。
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