どうしてほしいの、この僕に
 どうしてこんなことになったのか。頭の中からクエスチョンマークが消えないまま、1日の業務をこなすはめになった私は、時折かばうように左耳を触ってしまうのだった。

 しばらく忙しいと聞いていた柚鈴からメールがあり、仕事が終わるとその足で事務所へ向かった。
 事務所のドアを開けて、目に飛び込んできた光景に私は思わず息を呑んだ。
「お疲れさまー!」
「お疲れ—」
 柚鈴に続いて声をかけてきたのは、今朝「いってきます」も言わずに飛び出してきた家の主だった。彼の周りを事務所のモデルたちが取り囲んでいて、ヤツもまんざらではない表情をしている。
「なんで、ゆう……守岡優輝がここにいるの!?」
「久しぶりに島村さんとご飯食べに行こうと思ってね。彼女が『親友も呼ぶ』というから待っていたんだ。そうか、君が島村さんの親友なんだね。この前のオーディションでは失礼なことを言ってしまって……」
「その謝罪はもうけっこうです」
 優輝が一瞬だけ意地悪な笑みを浮かべた。他人行儀な愛想笑いより、その意地悪な笑みを見慣れてしまった自分に愕然としながら柚鈴を見る。
「じゃ、行こうか」
 薄手の上着を羽織り、おしゃれな中折れ帽をかぶった柚鈴が、私の横へ来て腕を絡ませた。優輝が立ち上がるとモデルたちが口々に残念そうな声を出す。
「また遊びに来るよ」
 その軽い口調と嫌みのない笑顔で何人の女性を落としてきたことか。女の子に囲まれてへらへらしている優輝は見るに堪えなかった。顔をそむけて柚鈴とともに事務所を出る。
 ドアが閉まる音の後、優輝が大股で私たちに追いついた。
「怒っている?」
「は? 私が? どうして?」
 私の顔を覗き込む優輝を、柚鈴が「へぇ」と意味ありげな目つきで見やった。
「そっか。明日香はカモフラージュだったんだ」
「カモフラ……?」
「『未莉を呼べ』ってずいぶん唐突だなと思ったけど、私が何も知らなかっただけか」
「な、何を言っているの」
 柚鈴は私の背中をバンと叩いた。
「じゃ、これからゆっくり聞かせてもらいますか。おふたりののろけ話」
「違う!」
「ふーん、仲いいんだね。未莉と柚鈴」
 隣からしみじみとした声が聞こえてきた。なぜこの男はそんなのんきなことを言っていられるんだろう。私は優輝を見上げて、思い切り睨みつけた。
 しかし拍子抜けするほど優しい笑顔を向けられる。
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