どうしてほしいの、この僕に
 実は今、食料品を買うくらいしか私の財布からの出費がない。家賃や光熱費を負担していないのを少し後ろめたく思うけど、お金を貯めるなら今しかない、とも感じるわけで、ランチは火事に遭遇する前よりさらに切り詰めている。
 やはりこのテーブルでも優輝の話題で持ち切りだ。「彼の私服はどんな感じだろうね」なんて疑問には心の中で「わりと普通だよ」と答えておく。気合いの入ったおしゃれをしなくても周囲の視線を吸い寄せてしまうオーラ——それこそが守岡優輝という人の魅力なのだと思う。
 今日はみんないつもより早めにランチを切り上げ、揃ってメイク直しに行った。私も一応それにならい、歯磨きをしてリップクリームを塗り、プチプライスのグロスをほんの少しだけ唇にのせた。前髪を手ぐしで直す。優輝に無愛想と言われた顔は、鏡の中でなんだか頼りなく見えた。
 午後1時5分前、私は谷本さんに手を引かれて玄関から外へ出た。彼女は顔見知りの上司たちのグループを見つけると、当たり前のようにその隣に陣取った。
 私は社屋に沿って並ぶ社員たちの列を眺めた。どうやら谷本さんは意図的にその最後尾にやって来たらしい。彼女の顔見知りの上司たちはスーツに社章バッジをつけていて、この会社の上層部の方々だと簡単に予想できた。
 つまり、ここで優輝が立ち止まる可能性が高い、というわけだ。
 まずい。
 しかし谷本さんは私の手首をしっかりと握りしめている。どうして私が彼女の同伴者に選ばれたのかわからないけど、できれば私はその他大勢の列に紛れていたかった。
 いや、会いたくないわけじゃない。私だって優輝の姿は見たい。でも今の私の顔を優輝に見せたくない。
 胸の内の激しい葛藤を吹き飛ばすような歓声が突然わき起こった。
 来た!
 待ちきれない様子の谷本さんが身を乗り出してパレードの進行をチェックすると、すかさず警備員が彼女を列へ押し戻した。
「柴田さん、来たわよ! 見えた! 背、高い! 顔、小さい!」
「そ、そうですか」
 谷本さんはようやく私の手首を離してくれたが、今さらこの場から移動することは難しい。なにしろ、列全体が前のめりになっていて、後ろへ行くことができそうにないのだ。
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