どうしてほしいの、この僕に
 声は小さかったけど、その冷酷な響きは私の耳にしっかり届く。優輝の頬から表情が消えていて、私はひどく焦った。
「し、知りません」
「柴田さん」
 小声の会話を友広くんが断ち切った。友広くんと目が合ったのは久しぶりだ。
「よかったですね。憧れの守岡優輝と会えて。仕事中でもポスターに見とれるくらいファンでしたよね」
 突如、別の焦りが腹の底からわきあがり、私は無意識に「あの、あの」と口走る。
 優輝は友広くんを正面から見据えた。それをひやひやしながら見守ることしかできない無力な私——。
「社内恋愛って楽しそうですね」
 隣に立つ優輝が微笑みながらそう言った。見ようによっては他人を小ばかにしたような笑みだ。
 友広くんは険しい表情で優輝をじっと見つめている。それからおもむろに口を開いた。
「誰もがアンタのようにもてるわけじゃないんだ。こっちは恋愛を楽しむ余裕なんかどこにもない。人を好きになるのは……ただ苦しいだけ」
 のどから振り絞るような声だった。
 私は優輝の足元に視線を落とす。
 もしかしたら私に対する当てこすりも爪の先ほどは含まれているかもしれない。そう思うのはうぬぼれが過ぎるだろうか。
 しかし何も知らない優輝は迷惑そうな顔で小さくため息をついた。
「さっき柴田さんにも言ったけど、僕はそんなに器用じゃない。仕事中に恋愛のことなど考える余裕はないね」
「それがどうした」
 友広くんが短く言い捨てた。
 当初の愛想よい笑顔はどこへ行ってしまったのだろう。あまりの豹変ぶりに背筋が寒くなったが、隣の優輝は案外平気らしく、ふてぶてしさをも感じる不満げな表情で友広くんを見つめ返した。
「やけに絡んでくるけど、何かつらいことでもあったんですか?」
 この悪気のない問いを友広くんは苦しげな表情のまま受け止めた。
 そして視線を斜め下に落とすと、スッと表情を消した。
「柴田さんには好きな人がいるそうです」
「ちょっ、なに言って……!」
 友広くんに抗議しようと1歩前に踏み出したけど、横からの「へぇ」という声につい隣の人を見上げてしまった。
 視線がぶつかった瞬間、私は顔どころか首まで真っ赤になった気がして、弾かれたように回れ右をし、フロアの隅へと一目散に駆け出す。目指すは階段だ。
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