どうしてほしいの、この僕に
 驚いて時計を見た瞬間、姉に受話器を奪われた。
「行きます」
『じゃあ5分後、事務所前へ迎えに行く』
 姉が微笑みながら受話器を戻した。私はただ目をぱちぱちとさせることしかできない。
「社長命令です。いってらっしゃい」
「……はい」
 茫然と答えて、通勤かばんを手にした。事務所から退出するそのとき、「グッドラック!」という柚鈴の力強い声が私の背中を後押しした。

 まさか2日連続でこのイケメンを拝むことになるとは思わなかったが、今夜の守岡優輝は一段と無愛想だった。ひと目見て、彼がここにいるのは本意ではないとわかってしまう。それならなんのためにここにいるんだろう、この人。
「ひどいことを言ってごめんなさい」
 私が席に着くと、彼は形式的に謝罪してきた。頭も下げて、セリフも心がこもっているけど、顔の表情だけは正直で、不機嫌なのが手に取るようにわかる。
「あの、私は全然気にしていませんので」
「いやいや、優輝はデリカシーがなさすぎるよ。深く反省しなさい」
 私の真向かいに座っている西永さんが父親のように諭した。このふたりは仕事上の付き合いが長いらしい。西永さんが守岡優輝とのこれまでを語り始めると、イケメン俳優はたまに相槌を打つ以外は、静かに肉を焼いていた。
 そう、私たちは焼肉店にいて、仲良くひとつの網を囲んでいるのだ。
 ムード? そんなもの、あるわけない。
 でもテーブルごとに個室になっているから、守岡優輝みたいな有名人には居心地のいい店かもしれない。
 ハイペースで3杯目のビールを飲み干した西永さんが席を立った。ちなみに私はまだ1杯目をちびちび飲んでいる。
「なんでこんなところに来てんだよ」
「え?」
 小声だったから一瞬何を言われたのかわからなかった。確かめるように守岡優輝を見ると、彼は箸をおいてビールのジョッキを手にした。
「私はそちらがどうしてもあやまりたいと言うから来ただけです」
 何か文句があるのか、と続けたいところなんだけど、ドンと乱暴な音がしたので驚いて口をつぐむ。守岡優輝が空になったジョッキをテーブルに戻した音だった。
「ふーん」
 いや、「ふーん」って、それだけ? ……ていうか、なんでこの人、機嫌悪いの?
「来ないほうがよかった、と言いたいんですか?」
「酒、強いの?」
「それほどでも……」
「じゃ、次の1杯でやめとけ」
「は?」
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