伯爵と雇われ花嫁の偽装婚約
Ⅰ
わけあり令嬢クレア
「ありがとうございました!」
カラランッ、とドア鈴が軽い音を立てて、扉が開く。
商品の包みを抱えて出ていく客の背中に向かって、薄灰色の瞳を持つ少女は元気良く頭を下げた。
左右に分けた、黒に近いセピア色の長い三つ編みが、お辞儀の動きに合わせて、背中で跳ねている。
客足が途切れ、静まり返った店内に残るのは、茶葉の良い香りとドア付近に立つ少女のみ。
表に面した窓から、石畳が敷き詰められた路上を行き交う人々の姿が見える。
さてと、今のうちにチェックしておかなきゃ。
少女――クレア・アディンセル、十八歳――は、カウンターに戻ると、明日出す発注書に視線を落とし、最終確認を始めた。
ここは、長い歴史と多彩な文化を持ち、特に産業面の発展においては他国の追随を許さない、大陸屈指の繁栄国、ブレリエント王国。
王都ルオントの中心、国王陛下の住まいである宮殿から程近いメイン通り――その端の端、さらに一本路地を入った所に、クレアの営む小さな紅茶店がある。
亡き母から店を継いで、もうすぐ一年。
すべて一人での作業は、最初の頃は不安でいっぱいだったが、近所の店の人達の手助けや、以前から通ってくれている客の支えで、これまでやってこれた。
それに紅茶以外にもハーブティーや、最近は東洋の茶葉も少しだが置けるようになり、それが一部の珍しい物好きの貴族の目に止まって、徐々に顧客も増え、何とか軌道に乗っている。
しばらく時間が経過し、クレアは発注書から顔を上げて、窓を見た。
太陽が西に傾き、通りを夕焼け色に染めている。
もうこんな時間……お屋敷に戻らなくちゃ……。
クレアは窓のカーテンを閉め、ドアに「閉店」の板を掛けると、帰り支度を始めた。
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